◆連休は果たしてほんとうに休まったのか?

11連休。年末年始に匹敵する長さの大連休が、幕を閉じた。絶望に打ちひしがれる人がタイムラインに散見されたが、一方でわたしはそうではない。決して「私、仕事大好きなんで♪」というようなマウントではない。信じてほしい。仕事に対しては、みなさんと同じ感情をもっている。本当だ。どうかブラウザをとじないでください。

わたしが絶望に打ちひしがれていないのは、たのしく休みを享受する反面で、職場の夢を見続けていたからだ。きのうの夜書いたとおり、連休前半はあたらしい睡眠薬にもてあそばれていたし、すぐれない天候の影響であまり万全ではなかった。後半は薬を平常時より減らしても睡眠できたうえ、中途覚醒もなかった。と思っていたら最終日の夜におなかを下すという災難に見舞われてしまう。いかに仕事がストレスになっているか、よくわかった。

さらに、無意識は連休をもってしても、仕事から逃れられなかった。夢を見てしまう。しかも、ふだん書くゆめにっき達とちがい、職場の夢だけは登場人物と場所はもちろん同じで、シチュエーションも「なんだかありえそう」なものばかりである。夢としておもしろおかしく捉えることもできず、目が覚めるとどっと疲弊してしまう。たとえ明るい内容だとしても、連休中はオフにさせていただきたいものである。

無意識の世界で望まずして職場と戯れていたために、ひとより絶望感がすくないのだ。だが、果たしてこれをもって「休まった」と言ってよいのだろうか?職場の夢を見た朝は目が覚めても重だるく、何度も再睡眠した結果、昼前になるということがほとんどだった。その結果、精神がごりごりと削り取られ、書く時間が失われ、読む時間が失われ、つくる時間が失われる。これならふだんどおりしごとのあった方が、健全な余暇時間を確保できたのではあるまいか。おかげで生活リズムもまぁまぁグチャグチャになり、だるく、眠く、重い。そんな感じで連休が終わってしまった。

次の大連休には、無意識の世界に仕事を持ち込まないのが鍵になるだろう。しかし、どうしたら?……途方に暮れる。大連休のたびにこんなことになるのなら、月に1回ちいさな連休があるほうがずっといい。なぜかちいさな連休の方が、しごとのことを忘れられる……気がする……。

それが今回の結論である。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。今日から仕事です。夢ではないので、ある意味ほっとしてます。

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