■知ることの先

SF、歴史、外国のこと、決して広い範囲ではないが、なにかを知ることがすきだ。楽しいので、知ることそれ自体が目的になっているようなところがある。知らないことを知ると視野が広がったり、今までなかった視点がふえて、同じものごとでも今まで見えなかった部分が見えるようになることがある。それは知ることの副次的な効果だと思っていて、それも知る楽しみとして大きい。

わからないものが多いので、「わかりたい」。ただ、その先がない。きちんと大人になり、一定の立場、役割になることを考えてみても、あまりピンとこないところがある。それもそうで、実際何にもなっていない。ストレスの専門家とか政治アナリストとか当たり前のようにでてくるけれど、それをしている人はすごいなと思っている。決して何かする必要もないのだが、社会に還元していけるというのは、雑な言い方をしてしまうと、他者から「これは意味ある」と認識されていることと捉えてもいい。そういった何かを持つことができたらいいなという思いが自分の中には少なからずあり、その形は漠然としていながらもなんとなく、少しずつ言語化していっているところになる。

先日、憲法9条2項の改正にかんして、「SPUR」という雑誌の特集がウェブ上にあったので読んだ。本田由紀さんという東京大学の先生のインタビューがあり、社会の動きにかんしてコメントを寄せているのを、時々インターネットでも拝見していた。詳細は省くが、現在の日本の政治を憂い、いきどおっておられた。そして「怒ること」が自身の役割になるともお話されていた。こうした場面で、バックグラウンドのしっかりした方が、きちんと発信してくださる方のありがたさを感じる。むろん、盲信することも危うく、自分で調べたり知っていくことが求められるのだが。

インタビュー自体もそうだし、「SPUR」といういちファッション雑誌がそういったトピックをとりあげていたことにも驚く。服飾の文化を点で捉えず、今までもこれからも続けていく、守っていくための線にしていこうという姿勢を感じた。そして、本来はそうあるべきだよな、とも。ふしぎというか、いびつともいっていい形でこの国の形を保ってきたのかもしれない。

読んでくださり、ありがとうございます。点と線はだいぶ現代社会を説明していくのには大事なワードだと認識しております。

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