吉川英治の随筆のなかに、弟子入り志願のお手紙から始まるものがある。実はこの随筆集、全集におさめられたおびただしい数の作品のなかから目を引いたものをさっと読んだだけなので、タイトルを控えてこなかったのである。
それらについては、お断りしてきたというし、最初の方はお手紙を書いて返事をしていたそうである!その理由としては、自身のこれまで生きたところ、そこが社会、それを汲みして生み出すものぞと、書斎に社会は、いきなりはでてこないのだぞ、と、そういうことである。日々社会の中でもまれ生きている、まさにそこに「社会」があるというので、小説家たる自身に弟子入りすることにはあまり意義を感じていないようすがうかがえた。
たしかに、吉川英治の人生を辿ると、決して順風満帆とはいいがたく、父の事業が失敗して小学校を中退して奉公に出され、さまざまなしごとの経験を積んでいる。望んでか否か知れないが、生涯に30回以上の転居をしたことで知られ、葛飾北斎なんかはもっと引っ越していたし改名もしていたなと思う。改名でいえば、小説家を志したのは32歳の時で、一冊の雑誌に複数の名義で作品を書いていた時代もあったという。Dance Dance Revolution初期のNAOKI MAEDAすぎる。小説を志すのも、遅くはないが、決して早い方ではないのかなと感じる。そこまでのところで、さまざまな経験が裏打ちしての作品たちなのだ。歴史上の豪傑たちにつけても、どこかその人間性に説得力があるのは筆の力だけではなく、実感のともなったところもあるのかもしれない。また、他の随筆でも、「(年齢について)昔の学者は40で不惑というが、自分の場合は今になってようやく初惑といってよい」というような記載を見かけた。吉川英治でそうであるなら、圧倒的にゆるやかな社会で何もがんばらず生きているような自分はまだ全然固まりきらないとしてもやむなしかと諦めもつく。
さてさて、今回の話はひとつ前に書いた、小説を書くにつけては一般の読者を想定する、というのは、社会や対人の一般を知ることに通ずるものがある。なんだかんだしごとを続けているひとつの理由として、「社会や人を知る」ことは大きいと考え直すのであった。
読んでくださり、ありがとうございます。もちろん?、幸い?、ふつうにたのしくてやっているぶぶんもあります、しごと。
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