■この「薄さ」

前につづいて地域シリーズ。

すきな喫茶やお菓子屋さんがいくつかある。私は気にいると同じ店にばかり行くようになるので、自ずとちょっとした会話はするようになることが多い。そこで、がっつり「常連さん」みたいになってしまうのは気が引けて、足が遠のいてしまうことがある。そのため、通えるお店は、なんとなくほどよい距離感を保って接してくださるお店が多い。

一昨年(だったかな)、行政書士試験の勉強をしていたとき、勉強おわりのご褒美として、喫茶で一休みしてから帰るのをルーティンにしていた。ゲーセンによる元気は残らないので、その代替のような気持ちだった。だいたい、同じお店だった。最近、同僚が同じお店の常連さんだとわかり、会計時、店主から「合格したって聞きました」と言われた。そういえば言ってなかったなーと思う。店主も、それくらいの感じで全然構いませんよといったふうだ。気にしていないのはわかっていたけれども、祝っていただいたのに後出しになってしまったので、「言ってなくてすみません、そうなんです。」と一応返した。またなんか受けるときはお世話になるかもしれません、と別れた。勉強するのはあまりすきではないようで、すごいなーとおっしゃっていた。

同じように、ひいきのカレー屋さんもそれくらいの距離感で、自分から話すときは話すけれど、食べて終わることも多い。きほんは「店と客」であり、その枠から外にはいかない。その安心感で通えているところも大きい。

ここ数年は、今の生活水準で過ごすのには無理をしなくてよくなった。今あげたようなお店はたいがいひとりか、きわめて少人数で回しておられ、できるだけリソースをそちらに割いて存続していただけたらなぁ、ということを思う。行けてないな、ちかごろ。

読んでくださり、ありがとうございます。お金の使い方も価値観ベースでふりわけていくと虚無を伴う出費が減っていくかんじがあります。

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