■じぶんの「これ」を見つけよう

いまいち上手く過ごせないなーという感覚がふつふつと長らくあった。余暇の月次まとめを読み返すとだいぶわかりやすいのだが、なんだか可処分時間でダラダラしてしまい、上手く使えないまま寝る時間になってしまったり、しごとをしすぎて退勤後の余力をもてなかったりすることが続いていた。とにかく、あれもこれもやりたいのである。実際、その気持ちは変わっていない。

そのためには、しごとをどうにかしなきゃというので、やめるのかどうするのか攻防していたときに「まぁ辞めるならこんなにがんばらなくてもいいか」とある種、諦めの領域に入ることがあった。それで、3月はもう早く帰ってしまおうとスタコラサッサ退勤をときどき織り交ぜるようにしてみた。空の明るいうちに外に出ることのできる、この爽快感といったら。

当然早く帰れば時間は増えるし、余力も残るので、どうするといいかを考えやすい。3月はこれができたことで「日次は読書、週次は音ゲーとケーナ」で落ち着いてきた。落ち着いてきたというか、そもそも通勤の往路で読書は長らく続けていたし、週1日のDDRと週2,3日のiidxもここ数年のルーティンであった。それをあえて言語化して取り出したことで、頭の中でもすっきり整理されたように思われる。とにかく、日次も週次もこれらがクリアーできていれば「ひとまずオッケー」といった、及第点感が生まれるようになった。

月次はアラビア書道かなと思いきや、案外1月から行けていない状態が続いているので、少しこちらは仕事の状況を変えないとならないかな、といったところだ。展示や映画は関心にばらつきがあり義務感が生じやすくなるリスクがあるので不定期でよいし、そのうち見つかればよいかなという思いでいる。

平日の1日が終わるとき、「自分でいられる時間があってよかった」と思えることがうれしい。生活が変わっていなくとも、90点100点でなく及第点と、捉え方を変えるだけでだいぶ楽になった。及第点をめざすにあたって、自分にとっての「これ」を見つけられたことはこの年になってだいぶ大きい。

読んでくださり、ありがとうございます。生活は型になっておいたほうが揺らぎが少ないのだろうなと改めて。もうだいぶ前になりましたが、朝、ちっちゃエッセイを書いていたときも朝の15分20分でした。今は日次までいかなくともいいですが、あの時間はもう少し時間の猶予ができたら復活させたいルーティンでもあります。

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