392:理想

今のしごとはたのしい。つらいこともある。たぶん、適切な負荷としては、会社が3日。あとはなんだか、じぶんでできることを仕事にして、暮らしたい。具体的に何をするかは、もちろん何も考えていない。ふわっとしている現段階では、何かこれまで積み重ねたことを、うまく結実させられそうな気もしなくもないかな?となんだか強気だ。

おわれば体を鍛えて、だいすきなカレーをたべて、ときどき広いお風呂でゆるまって本を読んでねむる。ここはそんなに、今とは変わらないかもしれない。そういう意味では、とてもいいことなのかもしれない。

平日にふわっと休んで、どこかに出かけて波の音を聞く。水が好きだ。せまい自宅のキッチンの水道すら、つけたままにしていたい。そのあと見かけた小ぶりな美術館をめぐって、気に入った一枚の絵の前でぼんやり何も考えずに座っている。

またある日は、気になった映画を手ぶらで見にいって、帰りに散歩をして帰る。どこにでもありそうな木々のすきまを写真におさめる。

ぼんやりと考えてひとめぐり、いざ書いてみて、案外、じぶんのやりたいことは少ないんだなと思った。いや、げんみつには海外旅行など、行きたくないではないけれど、したくを考えるとあまりにも手順が多すぎて、なんだか書けなかったものも少しある。パスポートをとるとか、あまりにも実行機能が低い自分には、最高レベルのタスクである。

さて、今の生活への負担や不全感が、しごとに8割、自分のだらしなさ2割でできあがっていそうなことが明らかになり、さすればそこを解消したらよいではないか、ということなのだが、果たしてやってみるとなると、どうなんだろう。変えられるところは、あるだろうか……。

読んでくださり、ありがとうございます。「思うところがあっても、この境遇はすべて、自分で選んでいることですからね。」と話した同僚のことを思いだしました。たしかにな〜。

コメント

WP Twitter Auto Publish Powered By : XYZScripts.com