8月の終わりにイスラーム過激派といわれていたアサシンについて研究された『暗殺教団』(バーナード・ルイス)を読んだ。出版されたのは2023年なのだが、原著は54年前の書物の邦訳だという。訳者の解説もついており、きわめて狭い時代のニッチなテーマを扱っているということなので、センセーショナルに翻訳!ということにならなかったのかなぁ、と思う。とはいえ、全然そんな感じはなく読んだし、普段も、海外SFを読むときに「いつ頃のやつだな」と考えたことはあまりなかった。今年でいえば、吉川英治を読んだ際に「古風な日本語だが味わいぶかいな」と感じたくらいのものであったし、エッセイなどでは内容として古さが全く感じられないものも、ちらほら見られた。
このことを知ってあらためて思ったのは、わからないことで置いてかれるんだ、ということだった。かんたんなところでいえば、足し算がわからなければ方程式もわからないよね、という、同じクラスとはいえど進度や理解度に大きくギャップがある状況である。ただ、これが世界、もしかすると宇宙の単位で起こっているとすると、これはものすごいスケールである。
特段、日々の中で支障が出てしまうようなことはないものの、語学がもうちょっと堪能なら原書で読めるので翻訳を待つ必要がないかなとか、韓国人プロの喋りをリアルタイムで内容ごと追えるなーとか、もう少し理解がスムーズだと英語で解説動画を聞くのもエネルギーがいらないのだろうなーと思う。そうすると、より、語学を正確に把握しているのに越したことないよなと思ったのだった。学びはできるかぎり続けたい。
読んでくださり、ありがとうございます。すべてを知ることはできませんが、わかっていくプロセスは何にも負けずおもしろいですね。
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