◆思考を書き出すところ

近くで催し物があって、ふと、友人におすすめしてもらった喫茶店のことを思い出して行ってみた。駅からそこそこ離れているので、じょじょに人通りは少ない。店内にも人はいない。まぁ、おひるどきなので、カフェタイムではないかもしれない。内装は古風な感じで、カフェというより喫茶店のほうがしっくりくる。店主ひとりでやっているようだ。銘柄がたくさん書いてあったが、違いがわかるほどコーヒーを飲まないのと、暑い日だったのでアイスコーヒーを頼んだ。
雑味なく、すっきりと喉を通る。ミルクを入れてみる。プレーンな方がおいしいな。

ぽつぽつと、店主は声をかけてきて、このへんのひとなの?とか、他愛のないやりとりをした。少し話したところで、このお店のことを聞いてみた。ひとりで続けていること、中学生のときにはすでにコーヒー屋さんをやりたいと思っていたこと、この場所に店を構えたのはぐうぜんだったこと、じぶんの納得いくコーヒーを入れたくて変化してきたこと、等々。

そんな話を聞いて、わたしはなんとなくきもちが落ち着いていた。このやりとりの時間は、普段よりもゆったりと過ぎている気がした。で、わたしは話をききながら、頭の中で自分の思考を書き出していたのだと思う。

やりたいことに向けて進むことは、想像するよりも大変である。それは自分で会社をつくってみて感じており、加えて、店主のもっているようなふっくらとした心の余裕みたいなものは自分にないなと感じた。げんに、仕事で新しいことが始まり、やりくりがまだおぼつかないことや、秋に控えた試験勉強の進捗が8月は停滞しており、なんとなく焦りを感じている最中であった。

直接、そういったことをやりとりしたわけではないのだが、店主のお店を建てるまでの話を伺う中で、じぶんのこれまでの歩みを振り返り、反芻するというか、かみしめていた。また、話の流れで、そういえば、漠然と、いつかどこか遠くに行きたいなーと思っていたことを思い出した。日々に追われているとなんだかそういうことも忘れてしまって、ときどき、思い出せるところを持っておけると、精神的な健康度を保ちやすいような気がした。思い返すと、この2,3ヶ月間は日々日々しごとで頭が回り続けていた気がするので、下半期はこういう時間を意識的にとってみよう。

読んでくださり、ありがとうございます。距離をとることで、「しごとじゃない世界ではしごとのことは評価されないしな」と、よそのことにできるのが気楽だなと感じました。ひとつの世界で生きることはリスクが高いのかもしれません。

コメント

WP Twitter Auto Publish Powered By : XYZScripts.com