◆書くことの効果

気がつけばこの日刊エッセイも二ヶ月を突破し、三ヶ月目に突入した。あまりに早いものだから、自分で驚いている。続けられたこともそうだが、それよりもネタが尽きないことに、である。前にも書いたけれど、このエッセイは自分の観察眼をみがくのと、文をじょうずに書けるようになるのを目的にはじめた。実際それらが向上したかは怪しいものの、最近になって新たな効能を感じている。どうやらものを書くことによって、今まで見えなかった自分を再発見しているようだ。
たとえばきのうの記事でいえば、自分の抱く死の願望が、必ずしもネガティブな意味合いだけではなさそうだ、ということがわかった。「死への希望」というと現実に対する絶望や諦観、自己の不全感や居所のなさが巻き起こすものだと思っていた。もちろんそういった要素は死をのぞむ端緒になりやすいだろうし、事実わたしの中にも現実への絶望感や自己不全感は渦巻いている。しかしそこに留まらず、書くことを通してさらに考えてみる。そういった絶望から出発して「この世ならざるもの」への憧れを抱いているからこそ、非人間や異世界や未来世界をすきになるのかもしれない。逆にそういった傾向を持つがゆえに、日常で繰り広げられる平和なストーリーにほとんど関心をもたないのではないか……そんな推論が立った。自らの嗜好について理由を求めるようなことは今までなかったので、こういったロジックを見出せたのは興味深い。思えばアトリエで絵を描いていても、似たようなことがある。文を書くことに限らず、表現というものは往々にしてそういうものなのかもしれない。
きのうの記事を書かなければ、こういったことは一生考えなかったと思う。考える必要があるかと言われればおそらく「なくてもいいもの」だろうけど、こういった「あってもなくてもいいこと」に思いを巡らせる余白があると、なんとなく人生がたのしい気がする。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。しゃべるのに比べると書くのはまったく苦にならないので、まだまだ続けていきたい所存です。よろしくおねがいします。

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