しごと関連(メンタルヘルス周り)の文章をここまでのところちょっとまとめたいのだが、なんだかうまくしっくりと進められないなという話をくりかえし書いてきた。8月なかばにあげたように、自身のしごとを通しての経験と世間一般との間とにおおきな溝を感じており、だからといってここで書くのびのびエッセイのように自分の感じたことばのまま表すことは正しく伝わらない気がしており、逆に世間一般の方に寄せすぎても書きたい・感じている部分のズレをどう表してよいのかがわからないぶぶんがあり、逡巡しつづけている。
ただ、今後日本人が減っていく中でぜんたいみなさんが健やかに生きていけるにこしたことはなく、そこにつないでいけるような何かを書き残しておきたいというのはある。しごとをはじめてそこそこ年数がたつので、記憶しておかなければいけないことも抜け落ちている可能性がある。きがるなエッセイすらも「うわぁ、こんなことを考えていたけど、それが今こう考えていることの根っこになっているな」と思うのであるから、そこそこ身を投じて取り組んでいることはもっとそれがあるはずである。
以前ちょっとふれた「社会学的想像力」の本を8月に図書館から借りてみた。発行年1995年とスーファミFF全盛期の時代でありわたしも幼年の頃である。内容は今読んでも大きく古びた感じはしないというか、もちろん取り上げられる事象は少し古くはあるけれども、伝えんとする要点、個人個人の生活と社会の推移とでもいうのか、状況とでもいうのか、個人の生活と社会の状況との接点を見出さんとしてみよといったところは、今でも健在かなと思われた。それをして、かつ精神保健福祉的なアプローチをしていくこととなると、個人の生活歴の影響もままあり、ひらたく文章化することが果たして正しい手法なのかどうかも定かではないところである。まぁ、だからこそ臨床において関わりながらしごとをしている、といってしまえばそうなのだが、瞬間瞬間で消え去っていく時間だけでもいいのかという、その往来がさらに深まった感じがする。なんというか、もっとも適切なかたちで「記録」をしておきたい。
読んでくださり、ありがとうございます。もやついている要因を言語化したほうがよいかんじもありますな。

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