◆本の適材適所

病院の待合で伊藤計劃『ハーモニー』を読んでいて、おもったことがある。わたしはこれをスマートフォンのKindleアプリで読んでいたのだが、近未来医療SFと、いかにも電子向きの内容である。ところどころにhtmlのようなコードが挿入されているのも、そう思ったところのひとつだろう。しばらく電子書籍の読書はご無沙汰だったのだけれど、電子書籍向きの本もあるのだろうなという直感がこのとき走ったのだった。

「べつにどちらで読もうと、さほど影響はないだろう」と電子書籍を導入したのだが、実際図書館も併用していると紙の本を読む機会のほうがずっと多い。理由のはっきりとしないまま読書をしていたが、『ハーモニー』を読んでわかった。本にも適材適所がある。そしてSFはおおむね、電子書籍と相性がよさそうだ。中国で人気のSF作家ケン・リュウの短編集は図書館で借りて読んだのだけれど、次に読むときは電子にしてみて、印象のちがいを味わうのもおもしろいかもしれない。これは電子書籍が普及してからしかできない「ぜいたく」だ。

ぎゃくに、紙でいることが適している本もある。わたしの持っているなかでもっともそう感じさせるのは講談社から出版された『クロニック世界全史』だ。これはもはや辞書のような厚さを誇る世界史の本なのだけれど、これは電子ではたのしめない。自分の顔よりおおきな大判の頁からひろがる世界の歴史を、ポータブルな端末で一覧するのは情報量的にけわしいし、見られたとしてもなんだか面白みに欠ける。本の重量を感じながらじぶんの手で頁を開くという過程もふくめて『クロニック世界全史』は「読」まれる。そんな感じがする。

学生のころに電子辞書をすきになれなかったのも、こういった価値観があったからかもしれない。そして電子辞書のない(げんみつにいえばあるのだろうが)極厚の古代ギリシア語辞典を開くたびにどきどきしていたのは、そういうことなのかもしれない。

現代ではもはや「重量感」とか「手で開く」とかいう価値観が旧く、ものずきなだけかもしれないが、それらを愛している自分がいる。今後の読書ライフにおいても、そのことを忘れずにいたい。

読んでくださり、ありがとうございます。わたしはSFっぽい話をTumblrに上げておりますが、まったくもって電子だ紙だということは考えて書いておりませんで、あらたな視座が得られてよかったです。そういう意味でも『ハーモニー』を薦めてくれた友人に感謝しています。

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