『ここはすべての夜明け前』(著・間宮改衣)

現代日本にうまれた主人公が、融合手術を受け、老いない機械の体を手に入れる。ほかの家族や恋人が時の流れで死んでいくなかで、おしゃべりの相手がいなくなった「わたし」は、家族史を書いてみてはと生前の父から提案されていたことを思い出し、語り(書き)はじめる。

主人公が融合手術を受けたのは25歳というが、語りのはじまりは小学校中学年ほどの漢字の知識で、つらつらつらつらと語られる。この一方的に語るような文体も、小学生特有のそれっぽいなと思わされる。お話そのものはもちろん、この本のおもしろいところは文体だ。時々素なのか、ちょっと異なる語りが入ってきたり、おはなし(この中では「わたし」のおしゃべりになるが)が進んでくると口調がかわってくることがあったりと、融合手術を受けた後でも「わたし」の変化がみられる。ここにも、心情や考え方といっていいのかな、の変遷がみられておもしろい。通常、本でそういったことを楽しむ際はお話の筋を追って汲み取っていくが、表現や表記を変えていくことであらわせるんだ!というのが、新鮮だった。以前、記憶をなくしていくごとに漢字が減ったりことばとことばの間があいていったりというのはみた気もするが、こちらの作品もそんなふうだ。読み進めていて楽しい。SFは人間の可能性をひろげる設定や拡張縮小がいくらでもできるので、相性がいい。そしてなによりも、機械の体を手に入れて老いなくなっていながら、周りの家族や恋人らは着実に歳をとり、主人公に語りかけ、そしていなくなっていくことの無常感や感情のこもった熱っぽさのコントラストがとても引き立ち、主人公の立ち位置の特殊さ(家族にとってはやがて不気味さにつながったのかもしれない)を際立たせた。

もうひとつ印象的だったのが、主人公である「わたし」の主体のなさというか、あるのだけれどどこか虚ろなまま時間が過ぎていって、その視点から家族史が編纂(かたられ?)されていくことだ。「わたし」の経歴も決して幸せいっぱいというわけではなく、人間はなんで増えるんだろうとか、なんとなく厭世的なきらいというか、消極的に世の中に絶望しているような姿勢がみられ、その視点が個人的には「現代小説だな〜」と感じられた。ただ、それだけで終わらずに物語の終結をむかえられたことは、このお話のもつ光として読み取っていいのかな。

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