◆ひとりぐらし幻想

今週も同居人が出張なので、火・水とひとりぐらしだ。ときにべつべつの出張が重なって、月の半分が不在ということもある。そうなると「ひとりぐらしプラクティス」ではなく、ほとんどひとりぐらしになって、生活スタイルもちょっとだけ変わる。洗濯の頻度や自炊の量、掃除する範囲(ひとりなので増える)と、与えられた環境にひとは適応していく。変化が苦手なくせに緩慢ならばなんとかなるようだ。にんげんの適応力はすさまじい。

これが長くなってくると、家がべらぼうに広く感じる。じっさい、ふたりで住むのにちょうどいい間取りなのでとうぜんだ。では、どれくらいの広さならちょうどいいのか?ひとりぐらしに憧れがあるくせに経験がないので、うまくイメージが湧かない。そういうときは今まで遊びにいった独居のともだちの家を思い出して、住んでみるとどうかを想像してみる。これが結構おもしろい。空想して「今、おじゃまする」。あの子の家はきれいだけれどコンロがひとつしかないから難しそうだとか、あの子の家は駅から遠いけれど閑静でいいとか、あの子の家はきっとちょうどいい広さのような気がするけれど、すごく汚かったから掃除してみないとわからないとか、いろいろなことを思う。同時に家でともだちと遊んだときのことなどを思い出して、懐かしんだりもする。しょうもない映画を見た。ボードゲームをした。昼寝をした……。ひとしきり遊んだところで、現実にもどる。なんだかんだ、思い出がつくとどの家もすてきにみえた。また遊びたいなぁ。

……いけない。これでは何も決まらないではないか。結局じぶんのアタマで考えて、行き着くのはいつも「今と同じくらい閑静だけど狭い家」だ。試しに検索すればいくらでも出てくる。ここからしぼることがわたしには必要のようだ。まぁ、そんなにすぐ引っ越す予定もないのだけれど、こういう遊びもときには愉しいものだ。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。想像の中で遊ぶのは住まいに限らずおもしろいです。なぜなのでしょうねえ。

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