ときどき、同居人がいないときがある。家出ではなく、出張や帰省だ。このときわたしは数日から一週間、ひとりぐらし状態になる。

長らくひとりぐらしへのあこがれがあって、今までの人生のなかで実家を出たことは何度かあれど、いずれも居候か同居で、まったくのひとりというのは経験がない。あこがれの要因はおそらく、生活を自分の意図どおりに組み立てられることだ。その巨大なパズルを、自分の経済力ひとつでたのしみたいのだろう。

決して今の生活に不満はない。使う道具やものの配置ややることの順序等、生活のコーディネートはすべてやっているし、ほかにも通勤時間やわたしの傾向(ものおとにびんかん等)への配慮もあり、だいぶ恵まれている。こだわりたいわたしと、全く頓着しない同居人だからこそ、なんとかやれているのだろう。 そもそも協調性がなく、協調するそぶりすら皆無なので(自分で書いておいてたちがわるい)、今ふたりぐらしが続いていることが奇跡だ。

不満の少ないふたりぐらしの環境下でひとりぐらし体験ができるのは、とても貴重だ。人生にはやってみて「失敗しました。おわります。」では済まないことがある。わたしにとって、ひとりぐらしはその典型だ。お金も時間も人の手間もエネルギーもたくさん必要で、万が一だめだったときのリカバリーまで考えておいたほうがいい。わたしは課題が多いので、なかなかすぐには踏み切れない。

最後に少しだけ中身の話をしよう。疑似ひとりぐらしのなかで困っているのが、意外にも料理だ。「一人分」というのがむずかしい。わたしの食べる量を1とすると、同居人は1.5から2.5だ。ひとりぶんを作るとき、1/3以下に抑えないと余ってしまうのだ。さらに厄介なことに、よっぽどすきなおかずでない限り、わたしは同じものを食べたくない。このあたりはもう少し経験してみて、強い地盤を築きたいものである。

実は、今週の前半はひとりぐらしだ。食事以外はふだんとあんまり変わらないので、食事さえどうにかなれば生活の組み立てはうまくいきそうな気がしている。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。ひとりぐらしをしたら「別のたましいたち」とわちゃわちゃしながら過ごすのを妄想してます。