だって、オタクだもの。第一弾はこちら。

いつか、遠くに行きたいと思っていた。東京というまちはふしぎで、なにかいいようのない闇をかかえながら、スマートな日常を送っているような不気味さがある。 おそらく複合的な要因によってそう思っているのだろうけれど、それが「何であるのか」というところは、さだかではない。

そんな東京から距離を置いて暮らせたなら……。2015年ごろから、ずっとそう思っていた。しかし今は、前ほど脱・東京のきもちは薄れているような気がする。

その理由はただひとつ。立川というまちを、東京に抱く不気味さをこえて、愛してしまったからだ。正直、都内の別の場所に住むくらいならよその道府県へ行ってしまいたいし、それどころか、よそにお金を落とすくらいなら、立川に居を構える会社に落としたい。わたしが休日に立川を出ないのには単に「電車が苦手だから」「遠出は疲れるから」といったネガティブな動機だけではないのである。いっぽうで遠くへの旅行に軽々と行くのは、はるか昔に書いた「いつか帰るところ探し」の側面が強いからだ。東京の他のまちに帰ることを、わたしは視野に入れていない。

わたしにとって、まちへの課金は株やゲームや本に対するものとそう変わらない。 思い入れの深いまちに課金して、それを元手によりよいまちにしていく(希望的観測にすぎないけれど)。そんなまちに住めることを想像すると…………とてもすてきだ。徐々に立川というまちは拡大して、準・都心のような状況になってはいるものの、それでもわたしが人生のおよそ半分を過ごしたまちの面影はところどころにある。

もし、立川と同じくらい惚れ込んだまちがあれば迷わず外に出るだろう。しかし一度や二度の旅行で、そんなところまで見通せるだろうか?なにせ立川とのおつきあいは13,4年。新境地に出ていく不安もある。しかし期待と直感もある。

そういうわけで、住まいに関しても推し議論が繰り広げられている。2020年には東京を脱出すると意気込んでいたが、もう少し先になりそうだ。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。立川を出ないのは便利さだけではないのです。