冬がすきだ。もう何度も書いている。空気が澄んでいること、町がしずかなこと、鳩が他の季節はすくないような気がすること……いろいろあるが、今日書くのは「冬のあたたかさ」について。

以前、ともだち数人と「夏のつめたさと冬のあたたかさはなんとなく質が異なるような気がする」という話をした。炎天下にふるまわれるアイスクリームやかき氷、灼熱のコンクリート・ジャングルを命からがら脱出し、空調完備のデパートメント・ストアに舞い込むときの冷房、なかなか冷えない自室のなかですする、きんきんに冷えたそうめん。いずれも夏の風物詩だ。これらはたしかに夏らしく、夏のよさであるけれども、まずやってくるのは快楽のように思う。冷涼な刺激、ぴたっと止まる発汗、のどごしのよさ。不快感はとりはらわれ、とりはらわれるとそのありがたみを忘れてしまう。

他方で冬は寒い中でたべる豚汁、乾燥し冷え切った町からデパートメント・ストアに入ったときの、いささか過剰ともいえる暖房、芯まで冷えたからだにしみるシャワー、浴槽、温泉。夏とおなじく風物詩で、快楽にはちがいない。しかしそれに先立って、なんだかほっとするような感覚がやってくる。

冬の寒さはひとからさまざまなものをうばう。日が短く光が少ない。外気は乾いている。そっけない。活動的になりづらい。体調だって崩しやすい。ただ冬だというだけでも、元気のなくなるひとがあるかもしれない。そのうえクリスマス年末年始バレンタインと怒涛のいきおいでイベントがやってきて、やたらとせわしない。しっかりやりたいひとほど、余裕をもつのがむずかしい。忙しいと、心もとげとげしくなりやすいかもしれない。

そんな中で降りそそぐあたたかさというのが、ありがたくなくてなんであろうか。失ったもろもろの欠片を錬金して、脳から抜けおちそうになったぬくもりや余裕を心身にそそぎなおしてくれる。うばわれたものを取り戻してくれる。それが冬のあたたかさの、だいすきなところだ。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。夏も冬も生きるのに必死ですが、快楽がどの段階でやってくるかというのが、ちがうのかな。わたしは夏が苦手すぎてありがたさを後回しにしてしまいますから、冬が苦手すぎるひとは反対なのかもしれません。