◆わたしが書く理由

 今年の2月以降、朝起きられなくなり、書く時間をとれずにいた。転居して朝起きられるようになっても、書けない日々が続いた。何かを書きたいという思いだけが空回る。ときどき、何かを書けたときには「また書けるようになるかしら」とあてもなく思いもしたが、これまでの人生において、目標のわからないまま何かを続けられたことがない。そんなふうにして、5ヶ月が経とうとしていた。

 きのう、米津玄師の音楽をきいたときに、ことばがきれいだなぁと思った。わたしは音楽になじみがないので専門的なことはよくわからないけれども、日本語のもつ微妙なニュアンスや感情の機微に対応することばをえらぶのが、とてもうまい……と思う。そのとき、わたしはほとんど反射的にTwitterでこう呟いたのだった。

 呟いた瞬間、「これじゃないか!」と気づいた。しごとでもゲームでも創作でも、大切なひとびととのやりとりでも、ことばをきれいに操れるようになりたい。思い返せば、これに近い記事も昔書いていたような気がするな……と思い、さがした。あった。あった。いずれも定期的に創作をしていたころの文章だが、今でも考え方は変わっていない。むしろ、仕事に注力するようになって、この思いは増しているはずだ。

 2月以降、転職や転居関連のことで頭がいっぱいになり、すっかり抜け落ちてしまっていた。それが思い出せた今、漠然と書けない状態から抜け出せそうな気がする。
 しごとに関することはなかなかすぐにまとまってくれないので、しばらく他愛もないエッセイが続きそうな予感はするが、また、毎日書けるような日々に戻っていきたい。

 読んでくださり、ありがとうございます。昨日の夜も今朝も聞きながら米津玄師を作業しているのですが、たいへんに沁みます。もう、徳島県に足を向けてねむれない……。

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