◆抱かれる子、放たれて

 ちょうど1年前、毎日文章を書くと決めたころに「いとしき子を抱いて」というエッセイを書いた。ちょうど文芸同人誌を発行したあとで、小説の感想をいただいたうれしさをしたためたものだ。ひさしぶりに読み返してみたのだが、すでにだいぶほほえましい。昔の作品というのはどうしてもこうもかゆくなるのか。

 ただ、変わらない部分もある。たとえばこれだ。

作品の巧拙はともかく生みだしたあとは「書きおえたこと自体」にかなり満足してしまう。しかしいざ評価や感想をもらってみると、やはりうれしい。

◆いとしき子を抱いて

 このブログは文章の修行場、書くことそれ自体がいちばんの目的だ。自分の脳内世界の分身をつくる。それが書くこと、ひいてはものをつくることだ。

 しかしこのところ、ここでのエッセイに感想をいただけることが増えた。評価や感想、指摘は大変ありがたいので「しかし」とつなげるのもおかしな話なのだが、このサイトを始めたときには思ってもみなかったのでびっくりしている。あまりにもよく言ってもらうことが多いものだから(みなさん褒めるのが上手である)、裏があるのではないかと疑ってしまうくらいだ。ここを見ていただいて文章の依頼をしてくださることもあって「続けてよかった」という気持ちでいっぱいになっている。

 わたしの脳内世界から放たれた文章──わたしにとっては「子」である──が他者によって受け止められる。ここからまたあらたな「ものがたり」がはじまる。子は旅に出ていく。わたしの手を離れ、新たな場所へ……。他者が存在してこその化学反応、ただ書くだけだったこのサイトに光が入る。やってみないと変わらないのだと実感している。

 今日も読んでくださり、ありがとうございます。ここ1,2週間、なにか大事なものが見えそうで見えない感覚があり、ひじょうにもやもやとしています。

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