「のどが渇いても、水をのむのをめんどくさいと感じてしまう。」この話をすると、たいていの人はおどろく。めんどくさい・めんどくさくない以前の問題であると、彼らは口をそろえて言う。言わんとすることはわかる。なにを隠そうわたしとて、そう思っている。しかしながら、めんどくさいのだ。

こうなった経緯は今やわからないが、ここ数年はずっと「水不精」である。さほど飲まなくても最終的になんとか過ごせてしまって、ひどいときは500mlペットボトルを余らせて帰る日もある。

だがきのうのように風邪を引いたときの話はべつだ。からだに蓄積された水分は熱や汗、鼻水に変わり、どんどん外へ逃げる。そうなると、否が応でもからだが水を求めはじめる。本能の底から渇きをうったえている。

「いつもの水分量では間に合わんぞ、おまえ、わかっているのか。死に……はしないだろうが、治るものも治らんぞ。」

からだからの切実な警告とあっては、無視してはいられない。わたしとて、風邪の症状と戯れる暇があったらにんげんやことばと戯れたい。ふだんの様子からは考えられないほど水を飲んで、飲んで、飲みまくる。おかげで今朝は症状がだいぶ落ち着いた。からだの中をめぐる水分が、どろっとしたものからさらさらしたものに入れ替わっているような気がする。風邪特有のだるさが抜けただけかもしれないが、からだも軽い。

きのう飲んだ水の量はおよそ1500mlほどで、成人が1日に飲むべき2000mlには届かない。ふだん飲まないせいで、そんな量でも変化を感じる。日頃からこれくらいのサイクルで水を摂り、排出したほうがよく循環して、健やかに過ごせるのではないだろうか。とくにコンプレックスである肌は、まさに水ありきの地盤である。外から化粧水や乳液を塗りたくったところで限界がある。さらに「めんどくさい」のほかにも深刻なことがある。ゲームに夢中になっていると水を飲むのを忘れて、軽く脱水しているときがあるのだ。あまりにもお粗末なので黙っていたのだが、いい機会なので書いてしまう。いっしょにゲームをして長い人は、おそらくちょっと脱水したわたしの姿をみているはずだ。

今後はしっかり水分をとろうと思うのだけれど、にんげんたるもの、長らくもっていた慣習をいきなり変えるというのはむずかしいようだ。不調が治ってくるとケロリと忘れて、気づけば水分摂取をめんどうくさがる日々に戻っている。なにせ11月の風邪のときにも、まったくおんなじことを考えていたのだから……。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。せっかくアタマがついているのに学んでおりませんで、お恥ずかしいエッセイとなりました。