2月のあたまに「にんじんのきもち」というエッセイを書いた。苦手な野菜を彩りだけのために買うのはやめようという決意表明を、野球と男女にたとえたエッセイである。読み直してみると我ながら滑稽なものを書いているなぁという思いにかられたので、もしよろしければご高覧ください。今回はその続きとなる。

にんじんをむりに買うことをやめてから、2ヶ月が経った。早いものである。じっさい、何か困っているかといえば、困っていない。

たしかに彩りはさびしくなった。しかし、絶望的に料理が貧相になったわけでもなければ、味が悪くなったわけでもない。野菜の赤には乏しいが、鮭やえび、豆板醤、ケチャップの赤が食卓を彩ってくれる。おまけに普段遣いの漆器が赤いおかげで、赤い食品がなくても気にならない場面が多い。なんとなしに赤と黒のセットを買ったけれど、赤と黒とでは献立によって見栄えが大きく異なることもある。食器の色がいかに大切かということも、にんじんを遠ざけてからわかったことのひとつだ。「野球でたとえればにく・さかなというピッチャーを支え全体の彩りをにぎるキャッチャーがにんじんである」と前回書いたけれど、我が軍の守備は、適宜キャッチャーを入れ替えてもなんとかなってしまうようだ。ひどい日和見球団である。

いっぽう、直売所には新にんじんが現れはじめた。だが、おれはあえて見過ごす。もはや好みでない造形の女に手を出すほど、余裕のないおれではない。広い売り場を見渡せばトマトが顔を覗かせる。つやつやとしてかわいらしく、何もしなくても食ってしまえる扱いの気楽さ。それでいて大きさのバリエーションも豊富で、どれも美味い。これでもまったく構いやしねぇ。にんじんの方も、おれのような「イロドリ」目当て、下心丸出しの、しょうもない男に買われなくって幸せなはずだ。おれたちはお互い、落ち着くところに落ち着いたのだ。言い聞かせるようにしてトマトを袋に詰め、直売所を去る。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。「なきゃいけねェ」という固定観念を解除することは大切かもしれません。べつの食品でもおなじことが言えたので、近々書きます。