この二週間、にんじんを探していた。きりぼしだいこんや紅白生酢など、にんじんがあると映えるレシピを作ろうとしていたのだ。しかし、行く先々で陳列されているのはにんじん以外のものばかり。あれだけ売っていたにんじんたちが、いない。思えばにんじんは冬野菜。直売所にはほんの少し早めに春がくるので、姿がないのも頷ける。「だったらスーパー行けよ」という声が聞こえてきそうだが、わたしはスーパーが苦手なので、できるかぎり行きたくないのだ。げんにスーパーの買い物は、だいたい同居人にお使いしてもらっている。

わたしは好き嫌いの多いほうで、なかでもにんじんは「だいぶ」嫌いな部類に入る。他方でにんじんは、食事づくりにおける影のエースとしての地位を確立しつつある。肉料理に添えるにんじんソテーのきらめき、野菜炒めに紛れ込む細切りのアクセント、和風の煮物にごろっと入った、ほかの野菜が茶けているなかでも赤々としたその姿。にんじんは彩りを出すのにうってつけの野菜なのだ。野球で例えるならばきっと、花形のにく・さかなという名のピッチャーを支え、全体の彩りをにぎるキャッチャーだろう。

だんだん、にんじんを探しているのが恥ずかしいことのように思えてきた。毛頭すきになれない野菜のことを、彩りめあてで探している。わたしは今、自らの見栄のためにタイプでもなんでもない、つまらない造形をした女をそばに寄せようとしているのだ。意中の女が振り向かないことを、知っているからだ。しかも女は、そのことを知っていながら、わたしの方に寄ろうとする。哀れなおとこの姿が頭に浮かぶ。にんじんのきもちもその、造形のつまらない女とおなじだと思った。わたしはにんじん探しをやめた。

全体のいろどりは落ちこんだが、問題なくやれている。そもそも、食べたくないものに食費を捻出し、作り、いやいや食べるのもおかしな話である。何よりにんじんが不憫である。ということで、しばらく我チームはキャッチャーなしでやっていく。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。ポストにんじんを探している最中です。