◆お茶と箱の中のケトル

こうみえて、お茶の時間がすきだ。なければないで構わないのだけれど、お茶の時間があるだけでほっとするし、なんとなくゆとりがもてる。 喫茶店で本を読む人というのも(わたしは周りの音が気になるのでやらないけれど)、わからなくはない。

ひとと話をするのも、食事よりもお茶のほうがよい。ごはんを食べているときは食べるのに一所懸命なので、ちゃんとした会話をしながら並行するのはむずかしく、たいがい食べ終わったあとにいろいろ話す。一方でお茶は話が主でお茶が客というふうに、はじめから一歩引いてゆずってくれるので、最初から話に集中できる。どことなくおくゆかしい佇まいを感じる。

もう一年くらい前だろうか、友人の家でごちそうになったとき、食後にお茶を出してくれたのがとてもうれしかった記憶がある。実家にいたころを思い出していた。決して良好な関係とは言いがたいけれど、お茶の時間に話したことは「ほんとう」だった気がする。

ここまで言っておきながら実家を出て以来、まったくお茶の時間というのを取ってこなかった。理由はかんたんで「どこに行ってもお茶が勝手に出てきたから」。笑っていただいてもかまわない。自分でやるという意識が皆無だったのだ。

先日、友人との会話を経て、やはり、お茶の時間はあったほうがいいと思い直す。家にある装備のなかで役立ちそうなものを考えると、押入れにねむっていた同居人のケトルが浮かんだ。前の家でもまったく使わず、今の家に引っ越してからも箱の中だ。引っ越し時に「まったく使っていないし、いらないんじゃないか?」と思っていた品だがわたしの持ち物ではないので、同居人の裁量に任せておいた。出張中にもかかわらず、あわててメールをする。運良く、すぐ返ってきた。

「家のクローゼットのあのへんに入れた。」

読むやいなや、「あのへん」を漁る。あった。箱に入っていたというのに、ずいぶんほこりをかぶっている。少し力をこめて拭いてやると、くすんだアイボリーがほんの少しだけきれいになった。久しぶりなので一回目のお湯は捨てて、二回目の湯でお茶を淹れた。まったくお茶を飲む習慣がなかったというのに、なぜかわたしはお茶をもらう機会がおおく、ハーブティーから台湾のごぼう茶からシンガポールのお茶と、溜まりに溜まっていたのだ。

今まで湯を鍋で沸かしていたのだが、その速度と容器への移しやすさは鍋の比ではない。おまえがいてくれてよかった。おまえには「キッチン家電の部、フードプロセッサー以上冷蔵庫以下」の地位を与えよう……。

そういうわけで、電子レンジの上にケトルが鎮座することとなった。週末に思い切りゲームをしたおかげか読書の熱が戻ってきているので、食後の読書にお茶を添えて……などとさっそく目論んでいる。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。我が家において「キッチン家電の部、フードプロセッサー以上冷蔵庫以下」は、二番目に高い位になります。

コメント

  1. […] 最近ちょうどケトルを復活させたので、ためしに白湯を淹れてから記事を書いてみる。ああ、効果は健在だ。しみわたる。うるおう。安心する……。同時に彼女からの感想がとてつもな […]

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