この小さなサイトでも、ときどき感想をもらうことがある。大いに影響を受けているひとからのコメントもあれば、ふだん本は読まないけれど朝のエッセイは読んでいるよ、というひともいる。 最近びっくりしたのは、時たまゲームセンターでお会いする方から体調のことを気遣っていただき「どうして気遣ってくださるのですか?」と聞いたところ「朝のブログに書いてあったので」と言われたことだった。

もとよりこのブログはものごとを考える力と筆の力を上げるために始めたもので、ひとに知れ渡ることは目標にしていなかった 。親しい3,4人が読んでくれていたらじゅうぶんくらいのきもちでいたので、思ったよりも多くの人が目を通してくれているという事実に、よろこびとおどろきが入り混じった、こそばゆいきもちになった。

もらった感想のなかでも印象的だったのは「起き抜けに白湯かミネラルウォーターを頂くような感じで、読むとすっと身体に入ってくる。」というものだ。というのも大学時代に、白湯を飲んでいた時期があったのだ。 彼女の感想をもらうまで、すっかり記憶の隅に追いやられていた。

たしか白湯を始めたきっかけは「冬に水は冷たいし、お湯だと熱いから」という単純なものだった。猫舌にとって白湯の温度は心地よい。朝、乾いたからだが潤っていくのは生きているかんじがしてすがすがしいし、夜に気持ちがささくれだったり揺れたりしているときに、ほどよいぬくもりがそっとからだを撫でてくれると安心する。寒さの消えた春になっても習慣は絶えず、白湯を飲み続けていた。それが、いつのころだろう、途絶えてしまったのは……。

最近ちょうどケトルを復活させたので、ためしに白湯を淹れてから記事を書いてみる。ああ、効果は健在だ。しみわたる。うるおう。安心する……。同時に彼女からの感想がとてつもなくうれしい反面、分不相応な気もする。まだまだわたしのことばは、白湯と呼ぶには程遠い。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。料理を入れる椀にお茶を淹れるのは意外とありだったのですが、料理と一緒に楽しめないのが欠点です。