■国と人と

前回「景漂」のつづき。

書いたように、高学歴・ハイキャリア群の若者たちが、キャリアを捨て、結婚にこだわらず、地方に散っていく動きが中国であるという。とくに景徳鎮(陶器の名産地)に惚れ込んでそこに住むことが多く、「景漂」と呼ばれるそうだ。そんな動きについて、国家主席は「国の役に立っていない」と放ったという。

最初記事をみたときは「おぉ、言うこと言うんだな、さすが中国だな」と思った。つねに、個と集団は一致するものではないけれども、立場のある人から明言されることで、その世界の考える「役」や「当たり前」が浮き上がってくる。中国に限った話ではないけれども、国にとって都合のいい行動と、個人の幸福の追求が一致していた時期っていつごろまでだったんだろう。情報化社会になってから、だいぶむりがあるんじゃないか。それ以前からもおそらくあるのだろうけれど、他の人の考えがかんたんに流れてくる今だからこそ、可視化されたことなのかな。

だからといって、ばらばらになるのがいい、というわけでもないが、そういった社会になったからこそ、国のあり方や考え方というのも、少しずつ変容していかないとうまくいかないのかなーという気持ちがある。多様性がもてはやされて久しいが、みとめるということは従来のあり方を相対化し、みとめることと背中合わせだ。そうすると、はたして国サイドに「多様性推進」について考えて、実現していくための政策を考えだしたり、理解を示したりできる人がどれくらいいるんだろうか(いないと言いたいわけではない。実際、いろいろな施策や条例はでてきている。)。

絶対的な正解があるトピックではないけれども、この辺りは頭におきながら過ごしていた方がいい気がする。

読んでくださり、ありがとうございます。ひとと密接にありながら国について話すことを忌避されるのはふしぎな傾向だなと思います、日本だけなんだろうか。

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