◆ひまだからそうじする

休みの日、まだうまく時間を使えない。思いがけず持て余したり、のんびりしていたら遅刻してしまったり、いろいろなことが起こる。それを解消すべく、最近は持て余した時間にそうじをするようになった。

それまではぼーっとしていることが多かったけれど、どうも心から「ぼーっとしたい」と思っている時間は少ないらしい。というのも「ぼーっとした」後というのは、あんまり充実感がないのだ。常に何かしていたい。この「常に何かしていたい」というのは殊勝なようで、実はとても厄介な質である。そもそも疲れに気づきづらいのがさらに加速し、ひどいときはキャパシティを無視して行動してしまい、ひとたび集中したら止まらない。この、壊れたエンジンともいうべき特性とはいつか向き合わなければならないのだが、現状まったく解決策がないのでそのままになっている。なにせ考える考えない以前に、やりたくてやってしまうのだから。

さて、ここでそうじを選んだのは、実はそうじがすきだからである。理由は単純で、結果が目に見えやすいからだ。今のしごとはどうしても結果が見えづらいので、可視化できる要素をもったアクティビティについ飛びついてしまう。ものづくりも読書も筋トレも料理も、すべて努力が具体的な形となって表れる。それがおもしろくてたまらない。もしかすると「結果が可視化されるものはぜんぶ趣味です」といっても、過言ではないかもしれない。

さらにもうひとつ理由がある。やらなければいけなくてやることほど、おもしろくないものはないのだ。「そうじしなきゃ」などと思ったとたんにやる気はうせるしいいかげんだし、いつもは棚に眠っている本やまんがを読み始める。ふしぎと「ひまだしそうじするか」のほうが、きちんとやれるのだ。

結果が可視化されているか、そして自発的に取り組めるか否かが、じぶんを動かす鍵となり、充実感にもつながる。もてあましているときこそきちんとできると、人生はなんとなくぴしっと引き締まるような気がする。こう思うこと自体が「ちゃんとやらなきゃ」につながらないことを祈るばかりである。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。「のんびりしていて遅刻」に関してはソリューションが全く見いだせていないので、難儀しているところです。

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