■弱さの紐帯

夏は一旦おちつき、その調子で年末までと思いきや、ほんとうに今の職場はいろいろなことが起こる。というわけで、昨年度と同じくイレギュラーな忙しさに見舞われることとなり、心身ともに余裕がなくなってきている。南の島でも雪深い渓谷でもいいので、誰にも知られず飛んでいきたい気分だ。

そんなとき、お友達から先のお誘いの連絡があり、なんだかとても肩の力が抜けたというか、ひどく安心した。普段からパートナーや友達の一部とはやりとりするが、それとは異なるやわらかさがあった。思いがけず、気にかけてくれているんだという事実を認識したのがおおきいのかなと思う。そもそも人づきあいが大人になるとある程度しぼられてくるので、そんな、みんなそれぞれが忙しい中で、すこしでも自身のことを覚えていてくれるというか、記憶してくれていることがとてもありがたいと思った。

普段から関わることだけが深い人間関係かというとそうではないよなあ、ということも改めて実感したし、そもそも深い人間関係をたくさんもつことは不可能だ。深さのグラデーションはあるだろうが、それぞれの関係性に応じて相手のことをきちんと扱うというか、つきあっていけることが大事なのだろう。当たり前のことではあるが、普段、特段意識して行動する人もそんなにいない。

また、今回の友達は、自分の経緯にも理解があり、時折重い話をしあったりと、ゆっくり、濃度のあるやりとりもさせていただく方だ。記憶してもらうことのありがたさとは別に、自らの弱さの部分でゆったりとつながれる友人がいたことがうれしかった。やさしさ、気にする、ケアする、とでもいえばしっくりくるだろうか、とにかく、そういった意味でのやわらかさ・あたたかさを感じた一瞬だったのである。

読んでくださり、ありがとうございます。先日その用事がおわって、とてもいい時間で、重ねてありがたかったです。

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