新年度に入り、そろそろ1ヶ月が経つ。改元にともなう長い連休を控えた今、朝のエッセイについてのふりかえりをしておこうではないか。

……というわけではぜんぜんなく、たんに記事の番号が255なので「ふりかえりをするか」と思っただけである。その証に前回のふりかえりはこのエッセイを開始した1ヶ月後で、それ以来ふりかえっていない。255という数字はファミコン時代にゲームをやっている方ならおなじみの数だと思うが、ありがたいことにわたしの読者の中にはゲームをしておられない方もいるので、軽く説明をはさもう。

255とは、8ビットの世界で表現しうる最大の数値である。99999999でなく255なのは、コンピュータが2進数の世界であり、さらに当時は8ビットという容量の制約があったからだ。つまり2の8乗……256である。ここに0を含めるので、最大値が255なのだ。細かいところは説明できるほどの知識がないので、コンピュータに精通している人に尋ねるか、ググっていただけると助かる。

さて、昨年秋からこれまでの半年間は、体調にフォーカスした記事が多かった。外来再開やすいみんしっぱいや変な夢(じっさい夢の記事はなぜかウケがよかった)などいろいろあったので仕方ない面はありつつ、もっと日常のささやかなことをキャッチして書きたいのがほんとうのところだ。そんな余裕がなかった証左が、ここ半年の記事にしっかりとあらわれている。序盤のころの、道端に落ちているセミの死骸がえっちだという話とか、そういうしょうもないことを書いていたころに戻りたい。

体調も読書量も安定し、小説を除けば書くモチベーションも高まっている今、日々起こるさまざまなできごとを、ていねいにすくい上げられないだろうか。夏は苦手なので、夏の方が余裕があったというのはなんとなくあやしい。じぶんの体調、要は自己の内ばかりに気を取られないように、外に目を向けて平成を終えたい。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。ちょっと話は逸れますが、内でなく外に目を向けるというと、今年度の上野千鶴子先生の東大入学式における祝辞がたいへんよいものでしたので、その部分だけ引用しておわります。その他のところはいつもの先生論調ですから、すききらいあると思います。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

平成31年度東京大学祝辞