「『闇金ウシジマくん』がすきです。」というと「あ~……あれね。」という反応をされる。ここで相手がわたしの値踏みを済ませるのか「どういうところがすきなの?」「なんですきなの?」と聞かれることはない。

こんなことなので、わたしは長らくウシジマくんを愛していながら、その理由を話す機会がほとんどなかった。今日発売のスピリッツに著者・真鍋昌平先生の読み切りが掲載されるので、もう連載は終わってしまったし誰にも聞かれていないけれど、今回はわたしが「闇金ウシジマくん」を愛するわけを話そう。

『闇金ウシジマくん』は現代社会の様相を曇りなく描き、そこで金に困った人間の有り様を書いた作品である。これだけでもう、明るく楽しい話題にはならなさそうだ。わかる。その気持ちは。

だが、ウシジマくんが描くものは債務者の転落人生にとどまらない。ここにはそうなるまでの背景、つまり貧困の格差や地域社会の解体によるひとびとの孤立化、家族とのままならぬ関係性が詳細に描かれている。これは社会全体が抱える負の部分と捉えることもでき、楽しく生きていく上ではあまり見たくない要素がふんだんに盛り込まれている。

この漫画を読んで「気持ちが暗くなる」と言われるのは、自分がお金に困っていなかったとしても、作品の醸し出す閉塞感や孤独感を感じ取ってしまうからだと思う。そしておそらく、その感覚は現代を生きるわたしたちの体験の中にも多かれ少なかれひそんでいるはずのものだ。創作世界と現実世界の暗澹たる思いがリンクすることで、後味の悪さは二倍にも三倍にも増幅していく。『闇金ウシジマくん』は社会の縮図なのだ。

これが、『闇金ウシジマくん』を愛する理由だ。

この世界を描くために各方面に綿密な取材を行う気概と、読者の感情を引き出す描写を惜しみなくやってのけるエネルギー。両者を兼ね備えた真鍋先生とこころよく(時にはこころよくなかったかもしれない)取材協力をしてくださった方々、そしてできあがった作品を待望する読者があって、この作品は15年間生き抜いてきた。どのフェーズにおいても、作品への愛がなくては成し遂げられない。各方面から注がれる愛で生きてきたという事実そのものも、この作品の魅力ではないだろうか。

この作品をいち読者として見届けられたことを、光栄に思う。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。今回はとにかく1000字におさめるのが大変で、とうぜんぜんぶの理由を書けませんでした。