ものごとの順序は大事である。あらかじめ決めた順序にしたがって行動することは、設計図どおりにロボットを組み立てることに似ている。そのことが達成感になるし、安心にもなる。それは日々のルーチンワークに限らず、休みの日の過ごし方でも同じだ。「なにかする・どこか行く」日はだいたい何時頃に家を出て帰りにこのへんに寄ってみようと決め「なにもしない・どこにも行かない」日はくまのプーさんよろしく「なにもしないをしよう。」と心に決めてねむる。それだけでいい。
しかしわたしもにんげんだから、ときに忘れてしまうときがある。それが昨日ひさしぶりに起こったので、そのことを書きたい。
いわさきちひろの展示が現在、東京ステーションギャラリーで開催されている(なんと、あしたまでだ)。
生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。
ひょんなことから招待券をいただき「金曜に行こう」と決めてねむった。当日になって文章を書きながら「そういえば何時に行くか決めていなかったなあ。」とお昼ごろに気付いた。こうなるともうだめで、どんなに時間をもてあましてもその日は行けない。東京ステーションギャラリーは東京駅にあるので、わたしの感覚からすると「少し遠い」。「少し遠い」ところは、前日以前にだいたいの動きを決めておかないといけないパターンである。要は1日のどこに挿入するかを想定してねむらないといけなかった、ということだ。チケットのもったいなさはありつつも、だめなものはだめなのでしかたがない。このことはうまく説明しがたいのだが、ひとつのこだわりと捉えて差し支えないだろう。
お昼になって、午後の過ごし方についてカレー屋で考える。昼は近場で食べることを想定して起きたので、スムーズに実行できた。家に帰って文章の続きを書いたり、本を読んでもいいけれど、それより人に会いたいと思った。思い返せば、今週は職場と家を行き来しているだけだったのだ。会いたい人たちの顔がいくつか浮かんだが、急に遠くに行くのは調子のいいときでないとむずかしい。アトリエも開いている日だが、アトリエに行くことを想定していなかったのでだめだ。アトリエすらも、事前に行く気概で眠らないと行けないのである。やれやれ。
結局近くの友人に連絡をして、家に遊びにいく運びとなったのだった。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。今日という日が予定どおりに進んでいれば、わたしたちは小田原に向かっているはずです。