◆かたちにすること

 きのうは懇意にしているともだちと久しぶりに話をした。思えば、ひとときちんと暮らしや生き方の話をしたのはひさしぶりだったかもしれない。興味のあるトピックについて話すのはだいすきなのだが、知り合いが少ないこともあり、なかなかそういう話をしていなかったのだ。このブログもここ最近は生活のことをすっかり取り払ってしまったものだから、珍しく饒舌だった。
 相手とのやりとりでは、自分の頭の中で渦巻くふわふわとしたものたちを具体的なことばにしていく。ひとたびことばになると、交通整理をするように自分の考えが整理されていく。ところで、近頃は自分の目標や課題を記入する欄を設けた手帳などが増えているという。書くこともまた、ふわふわたちの具体化だ。可視化すると、ふしぎと思いや決意は強固になっていく。少なくとも、わたしはそうである。見えるものはイメージしやすい。創作もあれこれと頭でふわふわたちを操るより、実際文字にしてしまったほうがすっきりとするものである。それでもなかなか書けない(書かない?)ので、実らないのだが。

 きのうはたくさん話したことで、頭の中で自由きままに泳いでいたふわふわたちが、一斉に海から上がって浜辺に並び、ちょこんと座った。やがて、大きな波がきて、すべてが洗い流されていく。浜辺に残った文字たちが、わたしの思いや決意だ。拾い集めてたしかめると「そうだ、たしかにこう思っていた」というときもあれば、「そうか、実はこう思っていたのか」と気づくときもある。これを繰り返してひとは選択し、はてしない世界を生きているのかもしれない。

 思いをかたちに変えていくこととその重みが、ふたたび沁み入った夜だった。

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