◆孤独の深夜

10月も終盤にさしかかったが、相変わらず眠りの調子はいまいちなままだ。今日は2時半に一度起きてしまい、なかなか早いお目覚めだった。なんとか6時まで二度寝したものの、ねむいものはねむい。やはり朝までストレートで眠れるというのがもっともよい。先月までできていたというのに、なぜ急にこんなことになってしまったのか。
分析魔のわたしは、その理由を知ろうとした。帰宅時間が遅くなったとかストレスがすさまじいとか、大きな変化は見当たらない。寝る前のスマホはひかえているし、できるだけ気持ちが沈むことも考えないようにしている。それから睡眠の記録をさかのぼっていたのだが、夢を見た日は1日くらいしかなかった。夢をみたときはだいたい覚えているので、あまりにも睡眠が浅すぎる、ということはなさそうである。
じっさい中途覚醒するときはなかなかの熟眠感があって目が覚めるものだから「結構よく眠ったのに、まだ3時なのか!?」と絶望することが多い。太陽サイドにもいろいろ都合はあるだろうが、ちゃんとわたしの満足感にあわせて朝になってほしいものである。一晩に2,3回覚醒するともはや怒りのような感情がわいてくる。「こんなに熟眠感があって目覚めているというのに、なぜおまえは朝になっていないのだろうか?」と。怒ったところでしかたないのだが、孤独に目覚める深夜帯というのは、気持ちのやり場がどこにもないのだ。耳をすませば、外もすっかり寝静まっているのがわかる。静寂と暗闇につつまれた空間でひとり目覚めてしまうさびしさというのは、覚醒したものにしかわからない感触であろう。「ひとはさびしいから怒るのだ」と誰かが言っていたけれど、ほんとうだとおもう。
「思い切って覚醒した時間から活動してしまってもいいのでは」とも考えたが、さすがに朝の3時から活動して日中はしごとをして、夜の時間も充実させるというのは、体力に自信があるわけでもなし、どだい無理である。結局、覚醒せずに眠り続けていられるのがのぞましいという結論にもどる。5時半きっかりに目が覚めていた日々が恋しい。どうしたら戻れるのかしら。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。話が上手に着地できておりませんが、これ以上どうしてあげるといいのかが見つかりません。

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