◆ひとりきりの部屋

ときどき、同居人が家をあけることがある。出張だったり帰省だったりと、ときによって理由はいろいろだ。
同居人がいないときは作り置きをあんまりしなくてよいし、洗濯も隔日ですむ。家事をお願いされてやっているわけではないから、やりたくなければ普段やらなくても構わないのだけれど、習慣というのはおそろしいもので、やるのが常になっている。それをぱたっとやらなくてよくなるのが、この期間である。
同居人不在の時間が、わたしはけっこうすきだ。いつかひとり暮らしをやってみたいものだから、ひとり暮らしの体験ができるのがよい。ひとりだと食料品はこれだけの量で済むのかと勉強できるし、そもそも「食べなくてもいいか」という日もたびたび発生する。がらんとあいた家にいると、ひとりだったら今よりせまい部屋でも全然こまらないなぁと思う。小ぢんまりとした部屋をかまえて、すっきりとした暮らしを営んでみたい……そんな想像がふくらむ。しゃべる相手がいなくて退屈するときもあるけれど、あんまり共通のトピックがないので、さびしさは生まれない。本の話とか創作の話とかウシジマくんの話とか、そういう話をふるのにはもっと適切なひとたちがいる。そういうことを考えていくうちに、どうして同居人と住んでいるのかがわからなくなってくる。確固たる理由は必要ないけれど、ふわっとした同居もなかなかめずらしそうである。考えても答えが見つからないので、そのままで置いておく。
今日から折り返しの水曜まで同居人は不在だ。あんまり食欲もない時期のようだから時間をもてあますだろうし、何をして過ごそうかしら。稼働末期のBeatmaniaの解禁を進めにゲームセンターに行ってもいいし、短編をよくばってふたつ読んでみるのもすてきだ。夜にもパソコンを開いて文章を書いたっていいかもしれない……まったく贅沢な悩みである。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。新宿と四ツ谷がまざったような駅で携帯電話を落とし、不運にも床に接したのが液晶の側で、そうとうな衝撃だったのか液晶はぱりっと亀裂が入り、なぜか背面も斜めに割けて、常に光が漏れた状態になった夢をみました。夢の続きも不穏そのものだったのですけれど、起きている時間を平和に過ごせることをいのります。

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