◆エネルギーの総和

ゲームをしたいという本音から飛び出した「余暇時間の充実」議論が、週を新たにしたきょうも白熱している。いろいろ考えたり試したりしたところ、ひとつの仮説が浮かぶ。自由な時間が少ないから、すべてをやりきれないのではないだろうかと。
単純に考えると1日のうち9時間はしごと(通勤時間等もふくむ)、7時間は睡眠(寝支度をふくむ)、食事や入浴等の生活部分が2,3時間だろうか。そこで余った5,6時間が余暇だ。「あれ、意外と時間はあるな。」というのが本音だ。体感だともっとすくない感じがするのだ。肝心の余暇に目を移すと、朝文章を書く時間が1,2時間、夜の読書は30分から1時間程度なので、どうやら空白の時間は2,3時間ほどあるようだ。ちゃんと時間を決めさえすれば、ゲームをふつうにできそうな時間である。ちゃんと決めさえすれば。時間がないとは一体、なんだったのか。単なる言い訳と屁理屈が余暇の充実を阻んでいるのだろうか?
ここまで考えて、常に自分のエネルギーがまんたんでないことに気づく。いくら時間があってもエネルギーがないとものごとはこなせない。思えば、だいたいしごとの終わったあとは倦怠感でいっぱいになっている。その身のまま余暇をいかんなく過ごすというのは、ガソリンのない車で走ろうとするようなものだ。たとえば起床時(もちろん、ちゃんと眠れた日だ)にエネルギーが満量の10あるとして、文章に3、しごとに4、家事に2、読書に1使うと空である。そうなるとだるいモードに入って、何もしないままだらだらと時間を食いつぶしてしまう。自分のエネルギーの総和が小さいことが、余暇が充実しない元凶ではないだろうか。こっちのほうが「時間がない」より実感を伴っている感じがした。
そういうわけでエネルギーの満量を10から12とか、あわよくば15とか、そういうことができればゲームを生活の中に入れてもよさそうである。しかし、総和を増やす手法について皆目見当がつかない。エネルギッシュな人は何に気をつけて、余暇を充実させているのだろうか?何かのヒントがあればいつでも拝聴したく思う。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。けさは不眠に雨に頭痛と、スタート時のエネルギーが7くらいしかなさそうです。先はけわしい。

コメント

  1. […] 以前「エネルギーの総和」のことを書いた。ひとが1日にもっている活動量は決まっており、わたしの場合ははやりたいことに対しエネルギー量が足りないのでどうにか増やしたい、と […]

  2. […] 三ヶ月ほど前から悩んでいた「自分のエネルギーを増やすにはどうしたらいいのか」論に、決着がつきそうだ。このあたりを考える経緯はリンク先にあるので、割愛する。 […]

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