以前「エネルギーの総和」のことを書いた。ひとが1日にもっている活動量は決まっており、わたしの場合ははやりたいことに対しエネルギー量が足りないのでどうにか増やしたい、という内容だった。このことについてはしばしば考えていたのだが、どうやらエネルギー量を増やすのにはそうとう時間がかかりそうである。体力も精神力も足りない。むかし哲学科の教授が「哲学は知識や考える力以前にまず体力です」と話していたのが、今になって沁みる。

おまけに活動とひとこと言ってもいろいろあって、その内訳も大切なようだ。げんに、年があけてからは休日も料理をしている。義務感やいやなかんじは一切なく、暇をみつけてこんだてを考えてはその通りやっていくのが楽しくてならない。設計図をつくって一から組み立てるおもしろさに、どうやらめざめてしまったらしい。

一方で、物書きは失速している。まいにちのエッセイを書くと、書きたいことはまだまだあるのだけれど「今日はいいかな」というきもちになってしまう。1日ふたつ、みっつ書けていた日々がうそのようだ。

文章は料理とおなじで、設計図をつくって組み立てるタイプの活動といえる。思うに、たとえエネルギーが有り余っていたとしても、同じタイプの活動は一定以上こなせないのではないか。かわりといっては何だが、読書は文章をたくさん書いていたときの数倍はかどっている。料理や物書きが設計図をつくる活動ならば、読書はひとの設計図や完成品を「見る・知る・ひもとく」活動だろうか。おそらく旅行や外食、音楽ゲームの動画を見て譜面の研究をするのもこちらにあたる。旅行と外食のモチベーションが以前より下がっているのも「見る・知る・ひもとく」が読書でまかなえているからだろう。

わたしの趣味は両者が連動して伸びていくので、この不均衡はどうも気がかりだ。もう少し適切なバランスでやっていけるとよいのだけれど、はてさて妙案はあるのだろうか。やはりきほんに立ち返って、体力をつけるところからかしら?

今日も読んでくださり、ありがとうございます。こういう考え事は「ひもとく」タイプでしょうか、わたしは何にしても、ひもとくのがすきかもしれません。