◆闇金ウシジマくん480(ウシジマくん66)

前回分はこちら。先週のぶんの考察が深められていないので、今回はさっと茹でた枝豆のような感想になります。まぁ話としても進んでいないというか、今回は猪背の構造的な部分がわかる回なので、前回ほど疑問・考察を深めるところはすくない……気がします。

ホテルの自室で銃口をくわえる丑嶋。前回の竹本のまぼろしと会話したあとは、自室に戻っていたということだ。まぁ路上でいきなり銃口をくわえたら、いろいろとあやしい。新宿だし。引き金を引き「いざ」といったところで、電話が鳴る。「柄崎貴子(母)」とある。前回脳裏をよぎることのなかった、自分の居場所・拠り所となりうる仲間の名前だ。「柄崎のかーちゃん」の存在は、本編でたびたび言及されてはいたが、姿として登場するのははじめてではなかろうか(未調査)?今日は柄崎の母親の誕生日だという。「今日も来るんでしょ?」という問いかけから、毎年丑嶋が訪れているであろうことがわかる。柄崎も夕方に来るという。丑嶋は「はい。」と短く返し、電話を切る。すでにそのとき、銃はベッドの上に置かれていた。その表情はどうにも複雑そうにみえる。それにしても丑嶋の電話帳の登録名は、彼の感情や性格・対象との距離感が如実に表れているなぁ。「腐れ外道滑皮」「獅子谷死ね」「アホ柄崎(これはうろおぼえだ。こういう感じだった気がする)」、今回の「柄崎貴子(母)」もそうだ。
場面は変わって滑皮サイド。鳶田と本編で引き入れた中学生に、鳩山に呼ばれたことを伝える。既にこの中学生が鳶田の横にいるというのは、はじめ滑皮が彼に目をかけていたことからも想像するに、組の未来を見据えてしっかり教育しておきたいとか、そういうことなのだろうか。鳩山に呼ばれたのは滑皮と豹堂のふたり。以前滑皮が鹿島殺しのことを詰められた部屋で対面している。身内が次々と殺されている非常事態をどう捉えるかと、鳩山は二人に問う。両者とも沈黙している。ここで鳩山が自分の生い立ちを話しだす。

自分は貧しい家に生まれ、親の愛情に飢えて育った。差別に苦しんで生きていた者、他に行き場のない人間が選んだ最後の共同体が猪背組だ。

ここは結構大事なところかなと思って、全て引用した。居場所・拠り所のなさというのはウシジマくん全体を通して描かれている事象であり、ヤクザという、脅威のピラミッドの頂点にいる人間ですらそういった「居場所のなさ」を語る。進化しつづけた人間がやってきたことは「敵を倒す」だけだったと前回ウシジマは言っていたが、今回もその片鱗がみてとれる。また「最後の共同体」というのがそのあとのシーンでもわかるように、重たい要素として存在している。そこに入ったからには、かんたんには抜けられない。社会的なレイヤーも変わる。それだから丑嶋も、前回のようにやくざだとわかれば敬体を使う。そんな「最後の共同体」のなかで内部抗争が起きていること自体が、鳩山にとっては嘆かわしいことだろう。
そのあと、生まれや育ちは関係なく、己の才覚だけで伸びていける世界だからがんばれたと続く。苦しいこの時代だからこそ、組一体で助け合うべきだと鳩山はふたりを諭す。「はい」とふたりは答え、鳩山はじっとそのようすを見つめている。あまり安心しきった眼差しではない。きっと効果があったとは思っていないだろう。
鳩山の部屋を出たあと、豹堂が滑皮を損得だけの銭ゲバだとののしる。それに対し滑皮は、自分はもっと先を見据えていると返す。滑皮の方から立ち去り、このシーンは終わる。
滑皮の部下の中学生が、衣笠という中年男に声をかける。ゲームセンターのメダルゲームコーナーだろうか。中学生は、衣笠が酒ばかり飲んで心配だという。衣笠という男はそれに対し、飲んでいないとやっていけない、やくざである限りこの国に居場所はない。貯玉をためこんでいるこのゲームセンターだけが自分の居場所だという。中学生は素朴に「だったらヤクザを辞めればいいのでは?」と問う。さすが、まだやくざ界隈のことはよく知らないようである。衣笠はできることならとっくに辞めていると強い口調で答える。中学生が真実の部分を知らないのだろうと気づき、衣笠は「教えてやる」といったような態度で実情を話しだす。暴力団排除条例のせいでできなくなることが多く、この国ではひどい差別を受けている、という。預金通帳を作れないため子供の授業料を引き落とす口座が作れず、学校にも入れないという。衣笠は中学生に金をせびる。飲みに行くという。「自分未成年です。」と律儀に答える中学生。きっと荒くれてはいるが、純朴なの子供である。
「食えなくなってヤクザになってヤクザになっても食えなくてヤクザ辞めても食えやしない」と衣笠は言う。中学生はふたたび「辞めたらヤクザ関係ないですよね?」と疑問を投げかける。口調を荒くして衣笠は、警察のデータベースからは5年間ヤクザとしての登録が消えないという。それなのに行政から生活の面倒も見てもらえず、辞めた連中は生活に困っているという。中学生は「知らなかった」と言わんばかりの相貌でさらに尋ねる。「辞めたらどうしたらいいのか」と。衣笠はホームレスか、万引きして刑務所ぐらいしかないと答える。
酒がなくなったことに腹を立て、中学生にもう一杯買ってこいと命ずる。中学生はそのようすを見て、滑皮からと言って封筒を渡す。荒々しい口調がすっとおさまり「お。毎月わりーな。」と態度を変える。「金は力そのものだからだ」というせりふがあったように、ここでも金の威力は健在だ。猪背で食えなくなった年寄りはみんな滑皮に感謝しているという。中学生は態度の急激な変化についていけないのか「は、はい。」と戸惑いながら返す。衣笠はいい親方を持ったなと笑み、飲み屋に行くという。中学生はその姿を見送り、滑皮への忠誠をあらたにするのであった。それにしても、トイレ掃除の文句を言って兄貴分にしばかれていたころからすると、だいぶすぐ丸く収まったなぁという感じがする。そういうものなのだろうか。というか、滑皮を裏切ったりするようなことがあれば、自分のヤクザとしての立場もあやしくなるので、そうせざるを得ないのだろうか。衣笠の話したヤクザで食えなくなった人間の末路に、弱冠10代でたどり着いてしまうのはあまりにも不幸だ。
所変わって(おそらく)梶尾の墓前へ。愛していたワンタンメンを供え、墓石に背を向けて座る滑皮。わたしが出くわしても道を変えたくなるような、ものすごい光景である。
柄崎の母が住む団地にやってきた丑嶋。思えば団地というものも、高度成長期に絶え間なく建設された「近代」のパッケージそのものだなぁ。熾烈な成長期を戦い抜いた人々の遺産ともいえるかもしれない。一時の自死の迷いは去ったものの、永続的な救いではないことはわかっている。彼の憂えたまなざしがそこにはあった。

想定通り自殺を思いとどまるシーンが入り、次号へ。彼は既に「独り」ではないのだ。
丑嶋のことを、ケバブ外人たちはちゃんと尾行しているのだろうか。三人が一同に会す間は、何も起こらずに時間が経つのだろうか。それにしても、毎年柄崎の母親の誕生日を祝いに行っているというのは、丑嶋にしてはだいぶ付き合いが深いように感じる。戌亥のかーちゃんのお好み焼き屋にはそこまで寄り付いてなさそうだというのに、やはりこういったところにも、仲間と仲間といえるかあやしい者との差があるのだろうか?丑嶋は母親を早くに失っている設定もあるし、中学から世話になっていたりして、今の関係なのかしら。
読んでくださり、ありがとうございます。来週もなんと連載があるというので、楽しみに待ちたいです。

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