◆気むずかしく嫌われやすいひと

冬が深まり、いよいよワイシャツ1枚ではつらい季節になってきた。春先もそうだが、この時期は服装の調節がむずかしい。去年の肌感触はどこへやら、経験値をゼロにリセットされたからだだけが寒空の下に投げ込まれる。おまけに自転車通勤はじめての冬だ。今までのように気温だけを見て着ていく服をきめると、案外ばかをみる。
その理由は風である。自転車は気温とおなじくらい厳密に、風向を見たほうがよい。ばしばしと当たる風は南向きと北向きで性格がだいぶ変わってくる。南向きの風はどこか心地よさを伴ってからだをすり抜けていくが、北向きの風は、たいへんに気性の荒いひとが正面からぶつかってくるような感覚すら覚えることがある。自転車の加速度にしたがって、彼の(もしくは彼女の)ビンタの強さも増す。なんら悪いことをしていないのに、なんだかしょんぼりとしてしまう。わたしは冬がすきだけれど、冬がきらいなひとの言い分はよくわかる。寒さ冷たさ厳しさの三点セットは、ひとを萎縮させやすい。
そして夜はまだ、案外暖かい。よくよく気温の推移を見れば、朝の方が寒いのである。朝に引きずられて冬の上着を張り切ってとりだせば、夜には自転車を漕いでいるうちに暑くなって、じゃまになってくる。道路に脱ぎ捨てるわけにもいかず、夏の羽織物のようにコンパクトでもないのでかばんにしまうわけにもいかず、我慢して家路につく。汗をかいたからだが、がらんとした部屋で急激に冷えていく。わたしはめったに風邪を引かないけれども、冬に体調を崩しやすいというのはよくわかる。冬のもつエッセンスはすべて、春夏秋と組み立ててきたひとのリズムを崩すのがとってもじょうずだ。
とにかく、冬は入り口からして気むずかしい。「一見さんお断り」と言わんばかりの微妙な天候の機微が、ひとをしょんぼりさせ、不調にさせ、最悪の場合はきらわせてしまう。そしてその気難しさに慣れるころには、朝も昼も夜もいっしょくたに寒くなっていて、考える必要がなくなっている。ようやっと「考えなくていいのか」とわかってきたころに、春の呼び声がきこえてくる。春先もいろいろとむずかしいことはあるけれど、ひとは暖かく心地よい感覚というのをなかなかにくめないものらしい。そう考えると、冬はその特性上、嫌われやすくて損である。しかしそんな冬の特性たちが自分と通ずるものを感じさせるから、わたしは冬がすきだ。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。ウシジマくんの感想は今週もお休みします。

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