◆『九条の大罪』第36,37審「消費の産物」❾➓

前回(❾)今回(➓)のお話

❾AV女優として働けなくなったしずくに修斗が紹介したのは、中国人向けの売りだった。富裕層を相手取り、AV女優として出演した女性をあてがうのだ。複数の男に囲まれ、売春婦・変態と罵倒されながら犯されるしずくは、泣いている。仕事を終え、気分が上がらないというしずくに、覚醒剤を用意する修斗。身体を捧げた対価として大金が置かれているが、その半分は紹介料として修斗の懐に入るようだ。しずくは修斗に一緒にいてほしいというが、1時間後には次の客が来るという。夜、ひとりぼっちのホテルで「夜景綺麗だね」と寂しそうに呟くのであった。ほどなくして、富裕層は飽きて彼女を買わなくなる。すると修斗は「単価が落ちたら数こなせばいい」と、中出しOKの売りに方針転換する。富裕層向けのときはゴムの描写があったので、徐々にハードになっているのだ。その後、しずくはムーちゃんと同じいちごや熊、うさぎの刺青を入れ、❶で修斗を殺害したときと近い姿になっている、ただ、髪も伸びっぱなしで、メイクも唇の形を逸脱しており、表情もくらい。それでも一応客はいるようで、1時間1万でとれたようだ。半分は紹介料として修斗がもらうという。「一応」といっているので、1時間1万という単価はだいぶ落ちた額であることが予測される。それでもしずくは、修斗と一緒にいるために身を削るのであった。

場面は変わって九条とブラックサンダーが廃墟と化した遊戯施設に足を踏み入れる。九条の髪型は仕事モードのときとちがい、烏丸に似た無造作な姿だ。どうやら壬生に呼ばれたようである。「家族の距離」編で介護施設の運営をしていた菅原が開業していたところを、壬生が安く買い上げたのだ。九条とサシ飲みをしたかったという壬生は、ここで飲み交わす。壬生の表情は、以前九条の住んでいる屋上でBBQをしたときのように穏やかだ。時刻は夕方ごろだろうか、九条に影響されて壬生もプチキャンプが流行っているといい、アウトドアグッズで作ったカップうどんを勧める。涼しくなった頃、壬生は愛犬おもちとの思い出を語る。母が死に、心を許せるのはおもちだけだったと話す壬生に、九条は「おもちは老衰かな?」と尋ねる。急に表情がけわしくなった壬生は、京極の命令でおもちを殺害したことを告げ、そのときに京極を殺して自分も死ねばよかったと口にする。しかし、それは今ではない。壬生にはやらなければいけないことがある、と、決意表明のようにかたるのだった……。

➓皺のついた手がスマホを持っている。このあとの様子を見るに、どうやらムーちゃんが、しずくのスマホから修斗に鬼電しているようだ。修斗はそれを見て「うわやば。またメンヘラ発動してる。」と冷静だ。売り掛けが300万あるので切れない客だと店にいる女性に話す。修斗としては、全額回収して縁を切るつもりのようである。ムーちゃんは電話に出ない修斗にキレている。しずくはムーちゃんに「もういいよ。」という。「接客中に鬼電は駄目だよwww」との返信に、さらにヒートアップするムーちゃん。鬼の形相でキレるムーちゃんに、しずくは慌てて止める。ムーちゃんは仕事に行くと言ってしずくを残す。しずくはひとりでいると不安なようで、食べていないと落ち着かないが、修斗に嫌われることを思って嘔吐する。毎秒死にたいという気持ちで押しつぶされそうなしずくは、寂しさや、助けてほしい感情をひとり吐露するのだった。帰ってきたムーちゃんと手を重ね合わせる。お互いの腕には”….(視認できない)anyone’s side”とある。全く同じ刺青を入れ、双子のような姿になった2人はなかなか不気味だ。

朝、街に立つしずくだが、周りの視線に怯え、何もない自分を惨めに感じている。しずくはすっかり、自己否定の連続していた頃に戻っている。人を傷つけるくらいなら自分を傷つけたほうがよいと考えるしずくは、こうしてリストカットの傷を増やしてきたのだろう。しずくは、厚底の靴を脱ぎ、かつて世話になった粟生に土下座して業界に戻りたいと懇願するが、裁判を起こされた粟生としては御免被りたいようだ。「帰れ」と一蹴する粟生の前に九条が現れる。しずくと目線の高さを合わせて声をかけた九条は、自身の身分を語り、何かあれば連絡するよう伝える。

また別の日、客を取ろうとするも、おぞましい姿で客はとれず、好奇の目にさらされる。バッティングセンターの入り口で憔悴していたしずくは、修斗とムーちゃんが手を繋いで歩く光景を目撃する。何かを思ったしずくは、「売り掛けの300万用意できたよ。街で修斗くんが女とホテル行くの見て気持ち冷めたよ。もう終わりにしよ 家に取りに来て」と嘘の連絡をし、ムーちゃんの家に来た修斗を殺害するのであった。

時間軸は現代に戻り、回想は終了する。しずくの経緯を聞き取り、九条は何かを思っている様子である。

感想

最後まで読んでもムーちゃんとしずくの関係性はちょっと、わからない部分がある。序盤はムーちゃんから「姉妹みたい」と言われて無言だったしずくが、すっかりムーちゃんと同じ服装、刺青になってしまっているのは、変化を感じていたたまれない。短期間で300万の売り掛けをつくったというのだから、しずくの頼る先のなさもうかがえて切ない。

今回、回想が終わっていちから読み直してみたのだが、❶で「私には商品としての価値しかなかった」と語るしずくは、語りながら、❾のエピソードで露骨にそれを感じていたと思われる。ゴムありで大金を積まれていた富裕層向けの売り、中出しを許した売り(価格は書かれていない)、そして1時間1万(おそらくこれは中出しもありだろう)の売り、最後に客を自分で探せと突き放された売りと、徐々に身を削る過酷なものとなり、金額が落ちるにしたがって修斗の態度も変わっている。必死に修斗にしがみつきながらも、姿かたちはムーちゃんと徐々に同一化していく。
しずくがムーちゃんと同じ刺青・同じ服装へと同一化していくのは、非常に興味深い描写だ。地元での強姦事件から精神を病み、家庭内にトラウマを抱えているしずくには頼る先が少ない。AVに戻れない今、修斗かムーちゃんしか残されていないのである。修斗と距離を置かれ始めているいま、頼れるのはムーちゃんだ。ムーちゃんはしょうじき得体がしれないし、しずくに送られた修斗のラインに対しても自分ごとのようにキレる。しかし、いつだってしずくには優しい。彼女と一体化することでせめてもの安心を得ていたのではないだろうか?そういう意味では、ムーちゃんがしずくを裏切るようなエピソードが回想の中になかったのは、救いだったかもしれない。ただ、ムーちゃんの家に修斗を呼んで殺しているので、ふたりを目撃したあとで一悶着あった可能性はぬぐえない。
しずくの外見の話に戻ろう。後半、メイクは大きく普段の状態から逸脱し、『闇金ウシジマくん』の「若い女くん」編の村田久美子の末路のようになってしまっている。そうでなくても、今回は『闇金ウシジマくん』の「フーゾクくん」編で、太客(常連客)の切りどころを見定めるNo.1風俗嬢の瑞希と、しずくの切りどころを考える修斗の姿が重なり、ウシジマ時代からの読者はうれしいやらもどかしいやら、といった気持ちでお読みになっていることだろう。

さてさて、今回一番象徴的だったのが、AVを降ろされたしずくが、修斗に「いい店を紹介する」と言われた(❽参照)バッティングセンター前が、今回の話で、しずくが、修斗とムーちゃんの姿を目撃した場所と重なっている。この場所がしずくに変化をもたらす場所であることが暗示される。また、ここでムーちゃんと修斗が関係していたことがわかり、しずくとしてもなにか察した部分があったのかもしれない。たんなる嫉妬心や自己嫌悪だけで殺したわけではないかもしれない。そもそも語り終えて「修斗を殺して自分も死ぬはずが、お腹が空いて死ねなかった。笑えますね九条先生。」と淡々とするしずくは、経緯を語る前は「自分を取り戻すために殺しました。」と動機を語っている。作中で孤独感や不安感を吐露したしずくとしては、おそらく本心から死にたかったわけではない。だからこそメンヘラ女子と呼ばれ、同級生に忌み嫌われていたのかもしれないが、ほんとうのところは孤独なのだ。また、序盤の感想でも何度か触れていた自己否定感の強さというのが、彼女を不安たらしめるさいたる要因でもあろう。これを払拭してくれたのが前半の修斗であり、AVの件以降、輪をかけて彼女を不安に陥らせたのが後半の修斗だ。いずれにしても金目当てであったことに変わりはないが、前半の修斗のままであれば、しずくは彼を殺さずに済んでいたであろう……というのが、おもしろいところである。そこのところの変容はしずくや修斗がもたらしたのではなく、第三者である外畠、そして亀岡がファクターである。しずくの運命が全くもって第三者的なところで転落の一途を辿ったというのは、非常に不条理なところである。

しずくが修斗を殺害した現在において、唯一、救いになるかもしれないのは、弁護してくれるのが九条だという点だ。九条と会わなければ、しずくは自分で弁護士もつけられずに裁かれてしまっていたかもしれない。粟生との直談判のシーンで「何かあれば連絡を」と九条は伝えており、殺害のあと、しずくは連絡をしたのではないかな。
ただ、九条は法的な面倒は見れても人生の面倒までは見れない、とはじめのエピソード「弱者の一分」編で話している。そのため、九条がフォローできるのは法廷の場面までだろう。そのあとでソーシャルワーカーの薬師前が出てくるとか、それこそ亀岡が女性保護の観点から支援するような流れが出てくれば、少しは救いを見出せるのではないかな?と思う。
人権派弁護士と豪語し「AV出演は犯罪の助長」と九条の姿勢を批判した亀岡と、依頼人に対して誠実であろうとする九条と、どちらが今のしずくを救うのかと問われれば、私たちはどちらを選ぶだろうか?

読んでくださり、ありがとうございます。次回は50号なので、再来週ですな。
一般的な話にうつりますが、現代社会においては、ただただ運の悪さから、めぐまれない人生をたどる人について、自己責任として片付けてしまう風潮があります。まさにしずくについても、読者にそれを突きつけているぶぶんがあるような気がいたします。何が悪いのか、どこで救えたのかという問題はもう少し深く考察する必要があるので、少し乱暴な言論になりますが、そんなことも一方で考えているのでした。

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