Youtubeは基本的にお笑い(春とヒコーキ、ラランド、ガクヅケなど)を見ることが多いのだが、なぜかそんな私の視聴履歴でも時々キャリアに沿った内容が出てくることがある。野村證券に勤めておられたが独立し、個人で保険屋をしているのかな、「宋世羅の羅針盤ちゃんねる」である。バチバチの営業マンなのでわたしのような体力なしなし弱者では追いつけない……!というトピックもあるのだが、語り口がパキッとしていて聞きやすく、気になるテーマがあれば再生している。
11月頃だったかな、そこで、許せる自由・不自由がわかっておくといいというテーマの動画があり、ちょうど、しごとを辞めることや今後の過ごし方について考えている時期だったのでクリティカルであった。要旨としては、自由と一言いっても、時間の拘束・経済面・場所・裁量など様々な角度があり、自分にとって必要な自由と、これはまぁいいかなといったものを分けて理解しておけると、転職や、生きていく上での軸が決まりやすいし、ミスマッチなく生きていきやすいよね、という内容であった。
自分の場合、時間的な制約と裁量がひとつ大きい。時の不自由が蓄積していくと、とにかくさもしい気持ちになっていく。裁量は個人事業になるのでやめれば増えるのかな。とはいえ、自由のきかない部分が勘所だとたちまち萎えてしまうのが昔からある。
一方、経済面は、業界の割に収入が増えてきて「まぁもういいかな」と思ったラインがあったのと、本業以外の収入も少しだけあるので、病気になったり、ライフスタイルが変わったりしたら別だが、そこまで大きな制約にはならないのかもしれない。時間があれば自炊もでき、自炊していたころの食費はおよそ6,7年前だったが、ふたりで月1~2万円を推移していた。場所は自分で選ぶことができればそこにいられるし、あちこち行ってみることは経験ないが、ばくぜんとした憧れもある。
ひとこと自由がほしいというのは簡単だが、ここで重要なのは、自身にとっての「いらない自由」を知り、置いていくというプロセスなのかもしれない。そう考えてみると、やはり今のしごとを続けるにあたっては、制約される時間の自由による負債が大きく、経済面の安心はあれど、やはり時間には変えがたいといった結論に至った。がんばりましょう。
読んでくださり、ありがとうございます。いまだに減らし・辞めがどうなるのかなどが不明瞭なのですが、ほしい自由に向けてがんばって参りましょう。世は個の戦い。

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