■成長

呪いのように、しごとがなんとかならないかなーということをこぼしている。友人をはじめとして、いろいろな言葉をかけていただくのだが、そのなかでパートナーから「前は働きたくないって言ってたのにめっちゃ自立してるじゃん」と言われた。

そんなことを話していただろうか……。

とんと記憶がない。が、よくよく考えてみると、もしかしたらそんなことを考えていた時期もあったのかもしれない……。それなりの期間、一緒にいる第三者がそういうなら、そうなのだろうな……。変化について、当の本人はおぼえていないものである。子どもなどもそうだしな。わたしは子どもとさして変わらなかったのかもしれない。

仮にそうだとして、「はたらきたくない」から「しごとをなんとかしたい」は、たしかにだいぶ成長したように思われる。思うに、はたらかない状態を成立するにあたって、はたらかないことによる制約のデメリットの方がおおきくなってしまう場合がわたしの場合は多いことに気づいたのだろう。たとえば、金銭があったとて、収入源となる世帯主的な人ベースで動かないとならない、ということも、マイペースな人間にはがまんならない。また、そういった人間を探さなければいけないという義務も重いし、他人に気に入られるということは非常に消耗する活動である。そもそもしごとでそういうことをしているのだから、私生活でまでやりたくない……要するに「はたらきたくない」をやらない理由が多いし、重いので、だったら「はたらく」という不自由と引き換えにあとは自分のすきにしたい。という帰結になるのかな。とはいえ、その「はたらく」の不自由がでかすぎるので、もうちょっと小さくしたいよね、というのが今の困りごとであるのだが。

現状への不全感があるときはたいがい、自分のスキルをつける・情報を集めるといった自分ベースの変化と、転職や転居などといった、周りの環境を変えることを順に試みる。それによってなんだかいい感じになり、これまでやってこれているのだが、今、また不全感ややりきれなさがある状態で、行動に移しつつある中、成長をみとめられるタイミングとしては適切なのかもしれない。

読んでくださり、ありがとうございます。じぶんの変化を覚えていてくれるにんげんがいるというのはなんとなく、いいことなんじゃあないかと思います。

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