この夏だけの4連休がおわった。オリンピックの延期により、来年もこういうふうになるかもしれないけれど、ひとまず今年のぶんはおわった。
わたしは世間の流れとはすっかり逆行し、この4日間はただの勤務日(と休み)だった。しかしながら、妙に充実した時間を過ごせた心地である。
今まで、カレンダー通りの休日をとる職場でしか働いたことがなく、カレンダーの祝日を無視する職場は今のところが初めてだ。さいしょ聞いたときは正直なところ、落胆して「えぇ……」と言いそうになった。祝日休みのみんなとゲーセンで遊んだり、ボドゲ会にいったりできないじゃあないか(じっさい、直近で誘ってもらったにもかかわず行けなくて非常にせつなかった)。
ただ、実際やってみると「これもありかな」と感じた。今の仕事は自分のやりたいこと、要するに精神障害者の地域における生活・就労支援にコミットできるので、働けば何かしらの学びがある。ふつう、支援は自分と相対する他者(サービス利用者)の存在する現場があって初めて成り立つ。逆にいえば、休みの日に支援について学ぶのはむずかしい。本を読んだり話を聞きに行ったりすることができるとはいえ、現場で得た実践知とは質が異なる。
要するに、しごとに行けば何かしらの経験値が得られる。経験値は支援の技術を向上させ、技術の向上はサービス利用者に還元される。そして、ゆくゆくは年収アップにもつながり、最終的に、素質と努力を兼ね備えた人であれば、自分で事業を興すこともできてしまうかもしれない。まだスタート地点に立ったばかりとはいえ、先のことを考えるのはワクワクする。
要するに、この4日間(げんみつには3日)をしごとに割り当てるのは、わたしの連休の使い方としては最適な選択肢だった。ゆえに、「これもありかな」といった素朴な感想がでてきたのだろう。じっさい、割り当てる裁量はわたしに与えられていないし、ただの考え方の問題にすぎないけれども、雨雲の気まぐれに浮遊する、コロナ禍の東京23区において、もっとも有意義な選択肢だったように思える。
読んでくださり、ありがとうございます。だけど、たまには連休もほしい。それとこれとは違う、ふしぎです。明日につづきます。
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