◆秘匿された口元

 コロナ禍を生きる中で思うことはいろいろあるのだけれど、その中でも一番気になっているのが口元のことだ。はじめはマスクのせいで、だいすきなリップを塗れなくなってしまったかなしみが大きかったのだが、徐々に思いが変わってきた。ウイルスひとつ発生しただけで、日頃意識していなかったことが変化するのは、なんだかちょっと興味深い。

 いま、人に口元を見せることがあるとすれば同居している場合か、食事に行くときくらいのものである。コロナ前とくらべて、外にさらされることが格段に減った。表情は読み取りづらく、まさに今話しているときの口の形すらわからない。視覚的な情報は、色とりどりの布の向こうに隠されてしまった。

 正直マスクは苦しいし、しなくていいのなら外したい。そんな気持ちの一方で、隠された口元の神秘性に吸い寄せられてもいる。口は接触/摂食のできる唯一の感覚器官である。自己の外部に触れ、じかに取り込むことのできる、ひじょうにユニークかつエロティックな器官だ。自分でないものを受け入れるというのは、生きるために必要なことであると同時に、どこまでいっても天涯孤独な存在である人間にとって、果てしない旅のようなものでもある。受け入れたものは生きる活力となり、自分ひとりでは見出せない、魅力的な世界との邂逅ともなる。空気を吸い込む音、その場の温度、交わされることば。その舞台はいつも一度きりで、繰り返されることはない。

 そういった機会をさりげなく奪われ、人と離れることを求められる今、口元はもっとも秘匿された領域となった。そこで触れあうことの尊さや神聖さが、以前より高まっている気がする。受け入れることの意味や重みについて、考え直すときがきているのかもしれない。

 読んでくださり、ありがとうございます。会って口元をみられることのいとおしさ。

コメント

WP Twitter Auto Publish Powered By : XYZScripts.com