およそ1年と2ヶ月ぶりに、閉店までゲームセンターで遊んだ。前にこの時間まで外にいたのは、中学生のころに通い始めたゲームセンターが閉店した日のことだった。もう二度と繰り返されることのない「日常」の終わりがそこにあり、なんとも感慨深い夜だったことを覚えている。そこが閉店した後もゲームセンターには行っているが、あのときと同じ気持ちを二度と抱くことはないのだろうと思うと、喪失しない安心感と共にいささかのさびしさもある。
とうぜん終電はなくなっているので歩くか、タクシーに乗るかの二択である。わたしはいろいろあってタクシーがだいすきなのだが、こういうシチュエーションのときはどうも歩いて帰りたくなる。
日中は人で賑わう街も夜中にはがらんとして、電光掲示板もみな寝静まって明日に備えている。人が入り乱れて混沌とした駅のコンコースも、この時間ばかりは不必要に広い。静寂の中で自分のヒールの音だけが等間隔で鳴る空間というのは、なかなか新鮮で気分がいい。
むやみに夜を更かすと不調をきたしてしまうくせに、わたしは結構この時間がすきだったりする。この時間は、普段忘れている夜の記憶がまざまざとよみがえってくる。夜というのは往々にして人を不安定にする魔力があるので必ずしもよいエピソードばかりではない。深夜の公園で話し込んだり夜中の3時に家を抜け出したり、不眠のときに天井のしみが恐ろしい化物のように見えたこともあった。しかし年を重ねたせいか、よかったことも悪かったこともまるごと受け入れられるようになってきている。思い出してもこわくなったり、いやな気持ちが沸きづらくなっている。ある意味では、疎くなったといえるかもしれない。
夜の思い出は、太陽がきちんと姿を消して静まり返った時間でないと鮮明に思い出すことができない。どうも日中は夜の記憶をあける鍵が見当たらないのだ。あくせくしがちな日中に思い出す必要のないことだから、月が鍵を持っているのだとわたしは思っている。夜の記憶を忘れたまま生きてもおそらく全く困らないのだけれど、時折引き出しを開けたくなって、夜の鍵を受け取りに深夜、月と会う。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。そういうわけなので今日の更新はお昼です。
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