◆楽しむ才能

 なんでも、手をつけてみるとたのしくなってしまう。すぐに夢中になって、好感度がぐんと上がってしまう。本・ゲーム動画づくり・絵描き……これまでのことは全部そうだ。「楽しい」と感じる敷居がとにかく低い。「ボドゲ会しようよ。」「この本おもしろかったし、読書会をやってみない?」などというお誘いが飛び込んでくれば、そのときの忙しさや心の余裕を無視して、飛びついてしまう。考える時間はゼロだ。「楽しそう!」と思ったらすかさず走り出してしまう。お腹を空かせたチーターがぷりぷりと肉付きのいいしまうまを見つけて走っていくのとおんなじである。

 今や人生は「100年時代」をむかえた。長いぶん、つらいことも増える。そんななかで「楽しい」がたくさんあるのはいいことだ。すぐに楽しくなってしまうこの特性は、長い人生をやっていくのにはおいしい才能なのかもしれない。今の暮らしを思うとぜんぶの時間が楽しい。「うそつくな」と言われるかもしれないが、しごともじぶんの興味関心がある世界を冒険しているので、おもしろくてならない。

 一方で人生は有限、あらゆる「楽しい」を満喫するには時間が足りない。刻々と減っていく時間のなかで欲をはり、すべてが中途半端になってしまうのはいやだ。やるからには極めたい。だから何かをあきらめないといけない。これがつらい。恋愛漫画で、数あるヒロインの中から一人を選ばなければいけなくなったときの主人公の心情に近いものがあるかもしれない。ペルソナ5の主人公くらい器用であったなら、すべてのヒロインとお付き合いするのだが……、残念ながらわたしは不器用だ。

 選びに選びぬいたものたちだけがわたしの時間の中にある。今後ともよろしくやっていきたいものである。

 今日も読んでくださり、ありがとうございます。ここまでしぼるのにほんとうに時間がかかりました。据え置きゲームは結局買い戻してしまったのですが、買い戻したからにはそういうことです。とりあえずFF9をやりたい。

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