■長らくして整うと

だいたい、月に2回くらいの間隔で整体にお世話になっているのだが、先生が仙人のようないでたちで、鍼を打たれ打たれ、気づいたら寝ている。寝てしまう前はどうしているのかというと、最近の話をしている。美容院の会話とまではいかないが、ゆるやかな四方山話、とでもいうとちょうどいい温度感かもしれない。

先月だったかな、いつもと同じようにやりとりをしていて、「しごと以外の話もするようになったねえ」と言われた。「このことを話そう!」と意気込むでもなしに、そのとき浮かんだことをしゃべるので実感は乏しいが、こちらもお世話になって2,3年経つので、おそらくそうなのだろう。以前書いた「成長」の記事もそうだが、自分の気づかない間の変化を語り部的に記憶してくれている人の存在が、あらためてありがたいなーと思った。

同時に「しごと以外のことも気にできるようになったのはいいね」と言われた。たしかに去年の後ろの方から、本を読む時間を確保するようにしたり、外国語学習のアプリをコンスタントにやってみたりと、できる範囲での生活改善をしていくようになった。できることが増えたり、効率をあげることで余裕をもつもあるし、「しごとばかりのことを考えてはいられねえ」といった反骨心もあるのかもしれない。いずれにせよ、抵抗する力を手にするに至ったことはうれしかった。

逆に、ひとつのことに囚われているあいだは呪いにとりつかれたように、その世界から出られなくなってしまう。治療によるからだの変化を通して、労働の呪いからささやかながら脱せた様子を、先生なりにお感じになられたのかもしれない。

寝そべったまま「からだが正しくなってきてそうなるっていうことは、今のこの、やめたいとか減らしたいと言う考え方も適切なのかもしれないですねー。」と言うと、「そうかもねぇ。」と笑っておられた。

読んでくださり、ありがとうございます。正しさはどこで担保されるんだろうなあ。

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