◆連休は果たしてほんとうにしあわせなのか

「今年の夏は10連休をいただいたんですよ」と職場の人が話していた。ふとカレンダーを見て数えてみると、わたしも10連休だった。思ったより多い。

 「連休」、いい響きだ。すきなことが存分にできるし、お弁当もつくらなくていい。しあわせな側面はたしかにある。しかし、なんだか引っかかる。 いまいち喜べない自分がいる。

 去年から、生活のルーチンをきちんと決めた。連休はしごとがないので、これが崩れがちだ。たいがい就寝時間が後ろにずれる。それでもいつもの時間に目は覚めるので、消化不良な感じがする。決めたことがくずれるのにストレスを感じやすいので、連休は楽しいことがあってもここでいらいらしてしまう。特に連休の後半戦はそうなりがちだ。「だったら寝る時間を揃えなさいよ」と言いたくなるものだが、ふしぎと後ろにずれてしまう。

 もうひとつ。「気分転換」には限界がある。なんでも気になることがあると、そのことひとつをフォーカスしてしまう。特に、今のしごとはいろいろと引っかかる部分が多く、けっきょく休暇中にそのことを考えてしまう。本を読んでも映画を見てもゲームをしても、やっている瞬間は忘れている。しかし、気がつけばフと考えている。

 気になることがあるときの対処には大きくふたつあって、問題そのものにアプローチするのと、抱えた情動を発散すること(余暇活動があてはまる)だ。上でも書いたように、後者に限界を感じている。結局は一時停戦しているだけ、問題を脇に置いているのだ。ゲームの途中で中断セーブをしないのと同じで、きちんと終わらせて次へいきたい。へんなところでまじめなのでこういうときに気が利かない。

「そんなに気になるのなら、コンスタントにしごとをしていたほうがよいのではないか?」

 思いがけず、そんなことが浮かぶ。これは、今までのバイトやしごとでは決して思わなかったことだ。それだけ今のしごとが自分の興味関心にしたがい、糧になっている感触があるのだろう。「しょうじきこれは勘弁してほしい」と思うような事態が発生することもあるけれど、今後に活きてくる。失敗にたいして「どうしたらいいか」、攻略法を考えるのが楽しい。しごとにもどこか、ゲーム要素を見出しているのかもしれない。それが、連休は電源を強制的に落とされてしまう。だから連休でしあわせになりきれないのかもしれない。わだかまるのかもしれない。

 まだまだ連休とのたたかいは続く。もうすぐだ。

 今日も読んでくださり、ありがとうございます。たぶん、今回のしごとは今までのしごととちがって、しごととして独立しきってない感じがします。もうちょっと勉強したら、そのことについても書きたく思います。

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