■時代をきりとる

朝井リョウさんという作家が気になっている。おそらく同年代くらいなのだが、読んでこなかった。朝井リョウさんを知ったきっかけは、デビュー作の『桐島、部活やめるってよ』である。しかも、これを知ったのはアルバイトをしていた職場の有線で、1時間にいっぺん流れてくるので、記憶に強く焼きついている。文芸サークルにも所属しており、曲がりなりに文章も書いていた。「だったら読みなよ」というツッコミもあろうが、なんだかそのまま流れていってしまった。秋に出た『イン・ザ・メガチャーチ』という、推し活に焦点をあて、それをとりまく立場の異なった人々を描く作品が話題になっている。

出版にあたってインタビューがYoutubeに挙がっており、インタビュアーの方も朝井さんのファンだったようで、とても興味を寄せながらお話をされており、終始、雰囲気がよかった。もっとも印象に残ったのは、今過ごしている時代の中をきりとってのこしておきたい、と思うのだそうだ。それで桐島も書いたし、新作も書いた。時代の流れをきりとるのに、秀でているといった評価も世間ではあるらしい。「きりとってのこす」は、個人の思い出の単位ではやっていくものの、職業人としてやっていくことはあんまり目が向いていなかったかもしれない、と思う。大掛かりな言い方をすれば、日本国民全体の思い出、みたいなものなのかもしれない。一億総中流といわれた時代では、そういった文学がなくても時代を共有できたのかもしれない。今はそれなりの格差が可視化されはじめ、それぞれの立ち位置によって小さな物語がある。文学でなくとも、漫画やウェブ小説などで多様な作品が出始めたことは、ここに由来しているところもある、のかもしれない。

この「時代をのこす」ということについては、自分を引き寄せてみても、近年頻繁に取り扱われる発達障害をとりまく環境や、地方の問題、これまで当たり前だったゲームの環境がものすごい速度で変化していっていることなどを考えると、文学のもつ大きな役割だと思う。架空の何かであることで、自身との距離をおけることは、心理的な安全性を保つ役割もある。そういうわけで、非常に安易な接続ではあるが、腰を据えて文章を書くことにも、また首をつっこみたくなってきている。ひとまず、年末に買った『桐島、部活やめるってよ』を読@@@

読んでくださり、ありがとうございます。過去のことはどんどん忘れてしまうので、変化が多い今だからこそ、積極的に残していった方がいいのかもしれない、と思いました。

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