旅行でしか、よその地域に行ったことがない。引っ越しもよくて都内でうろうろ、という始末であり、東京など、近所付き合いがなくてもみんながみんなに興味がないので、全く困らない。ただ、地方となると話が変わる、と思う。
ひとこと「地方」といっても、その度合いはさまざまだ。これまで見てきたニュースの特集や旅行でみたことにすぎないが、人があまり多くなく、町自体の人の出入りの少ないところほど、自分が何者であって、どうしてここにきたのか、ということを追求されるんじゃあないかということを思う。逆に、東京のように、地域そのものが外に開かれていれば、誰であってもいいのだな、というところで、人が集まってくるろいうのはよく聞く話だ。
わたしがどこに行くのかはまだ、そこまで固まっていないが、福岡市まわりと吹田市まわり、そうでなければ滋賀県(湖西)、三重県(四日市まわり)あたりを今は考えている。奈良もいいね。しごく個人的な興味で東北地方に関心はあるものの、車が必要な環境は避けられないこと、どちらかというと閉鎖的な趣を感じてしまっており、暮らすのは今の自分のスキルでは難しいかなと感じている。ただ、なんらかのかたちででかかわれたらいいなぁ、と思う。
では、いざ本当に移住するとなったときに、何が大事かといえば、冒頭に書いた「何者であって、どうして来たのか」が肝だと思う。家族がいてもひとりでも、それは変わらない。ただ、地域に移ってからのコミュニティへの入り方が、子どもがいるのかいないのかで大きく変わってくる。これは実際にしごとをしていて、子どもの事業が始まってからスルスル進むようになった側面がいくつかあって、わりと実感がある。子どもがいるなら子どもを媒介して、というと言い方の問題があるが、学校や習いごとなどの入口がわかりやすく、そこに親がいます、という構図はわかりやすく納得できる。
それでは、自分もあてはまる、子どもなしバージョンの場合であるが、ここはまず、町がもつ人の受容度に合わせて、自分が何者であり、どうしてここにいるのかを説明できるようにしておく必要がある。仮に説明できたとしても、町の受容度が低ければうまく行かない場合もあるので、そのとき自分だけを責めない方がよいのかなというのは思う。極力これを防げるよう、移住する前に町のことを知っておくと同時に、その町における自身の位置付けについても、よく考えておく必要があるだろう。位置付けについてもこれが難しくて、医者としてきて診療をしてたら、横暴な行政の予算か何かの決定でその町にいられなくなってしまった、ということもあったようなので、位置付けの設定が強固であればよい、ということでもないようで、難しい。
そういったこともあるので、究極、考えても仕方ない部分はあるかもしれないが、いかんせん身一つで飛び込んでいくことの怖さもあり、まだすぐに移動できない事情もあり、小賢しくそんなムーブをするようなところである。
読んでくださり、ありがとうございます。いま、地方都市のコミュニティ感やその存亡についてはとても関心が高いです。海外もふくめて。

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