◆感想『九条の大罪』第32審『消費の産物』❺

今回のお話

若頭・京極に呼び出された九条。面倒をみている会長のAVメーカーが訴えられ、マスコミを巻き込んだ事態になりそうなところを、何とかうまく立ち回ってもらいたいようだ。そんな面倒が起こりそうなのも、人権派弁護士・亀岡麗子のせいだと京極は話す。九条はその名に反応し、亀岡が同期であることを伝える。京極からすれば、奪い合う世界の中で、戦わない弱者は切り捨てられて然るべき存在だという。それを聞く九条の表情をみるに、どこか思うところがあるようである。

件の亀岡が無罪を勝ち取り、依頼人の中年男性から感謝されている場面に変わる。男性は「最初は女の先生ってどうかと思いましたが、男勝りとは亀岡先生のためにある言葉ですな。」と嬉しそうだ。それに対する亀岡の眼差しはどこか呆れというか、見下しているようにもみえる。亀岡は「女が男に最初から負けているという差別意識からくる発言だってわかりますか?」と依頼人に問う。彼は困惑したようすで「美人な女性なのに強い」と褒めたつもりだ弁解する。さらに彼女は、弁護士能力に容姿や性別は関係ないという。すっかり言いくるめられた依頼人の食事の誘いも断り、彼女は流木と待ち合わせていたらしい公園へ向かう。どうやら流木が呼び出していたようである。
「流木先生」という呼び方からして、九条と亀岡は流木の教え子であることがわかる。用件を問う亀岡に、流木は結婚について問うが「その質問はハラスメントですよ。」と牽制される。すると、youtubeで亀岡が扱っていた夫婦別姓論の講義を聞いて、うってつけの相手がいると思ったのだという。さすがに師の気持ちを無碍にはできないようで、彼女は相手の名を聞く。すると、流木は九条の名を挙げる。一瞬ピンときていなかった亀岡だが、すぐに旧姓を連想し、ごめん被るといった返答である。反社の弁護ばかりしている人間とお似合いだと思っているのかと問いただす亀岡だが、流木は、芯のしっかりしている人だという。離婚して寂しそうだったと流木は付け足すが、知るところではないと一蹴され、ふたりは別れる。

ふたたび場面は変わり、しずくとAV会社の粟生が面接をしている。AV出演がバレても痛くない身の上であり、クラスでも最下位のルックスだというしずくに、男は「自己評価が低すぎます。」「単体女優の素質がある。」と肯定的なことばを投げかける。「自信を持ってください。」という男に対し彼女は「私が一番持ち合わせてないものが自信ですよ」と言いながら契約書にサインする。すると、さっそく撮影に入ることに。歯を磨いて立つ足は震えており、メイクをしてもらっているときに「怖い。」と本音を口にする。メイクを終えてLineを見ると修斗のエールが届いている。それを見たしずくは「頑張る。修斗くんのためなら何も怖くない。」と決意するのだった。

感想

今回は場面が多いが、最も面白いと思ったのが京極のセリフに対する九条のまなざしの次頁に、勝訴を感謝する依頼人に対する亀岡のまなざしが描かれていることだ。これは明らかに対比のシーンとして配置されており、それぞれの主張に対して同意しかねる立場にいることがうかがえる。さらに、後で触れるが、しずくとAV会社の男とのやりとりの際も、このまなざしがでてくる。わたしの初読の印象として、今回は「まなざしの回」であった。
まず、九条のポリシーとして、依頼を受ける相手の「貴賤や善悪で選別しない」というのがある。これは作品の根底をなす原理のひとつで、九条のありようそのものともいえる。これは、京極のいう「手抜きで生きてる人間は切り捨てる」や「奪い合う世界の中の猛禽類」といった価値観で構成された世界とは異なっている。逆に、京極のいう世界の中にいる弁護士としては「家族の距離」編で登場した山城が代表的で、九条は彼に対してもどこか切ないまなざしを向けるシーンが随所にみられる。京極はヤクザなので、少ないパイを奪い合う際に不利益を被らないよう弱者を「切り捨てる」という。そこにおいて、現代におけるひとびとの余裕のなさが、ヤクザ社会においても垣間見える。実際、暴対法の施行を経て、ヤクザは非常に生きづらくなっているし、半グレがのさばるようになってからさらに肩身は狭くなっているような描写をそこここで見かける。京極としては、弱者から奪う構造が破綻してしまうと自分たちの身も危ぶまれるぶぶんがある。「弱者救済」という理想論は、自身が強い立場で生き延びるためにも、実現しては困る部分が少なからずあることがうかがえる。
いっぽう、亀岡の方がわかりやすく「女性」であることに対して付随する無意識なステレオタイプを纏った言葉に対して強く反応している。そのあとに依頼人が言った「美人な先生なのに強い」という弁解も、亀岡にとっては自身の本来的な評価には繋がらないため、不本意な評価である。その後、流木に結婚に関する話もされ、彼女としては「勘弁してくれ」といった気持ちだろう。ただ、流木が亀岡に九条をすすめる、ということについては、よくわからない。ただ、夫婦別姓というので、自身の名を変更することを要せず活動を続けられることが、亀岡にとって有意義だ、と流木が思ったのかもしれない。九条の離婚についてもあまり詳しく語られていないので、まだここでは真意が見えてこない。流木はおそらく、読者のわれわれが把握していること以上に九条の家族関係についてわかっており、思うところがあるのだろう。

そして、しずくの面接シーンである。粟生の「AV女優はクラスで三番目にかわいい子がなるものなんですよ。」というセリフに対し「最下位ですよ」と否定するしずく。そこから「単体女優の素質がある。」と切り返されるシーンも、九条・亀岡の目線を描いたコマと同じ形、同じ位置に配置されている。これも、しずくの自己評価と粟生による客観的評価の相違を強く演出している。ただ、京極や依頼人と異なり、粟生の場合は出演させるためのやりとりなので、「クラス一番のアイドルレベル」「単体女優の素質」が真実であるかどうかは疑わしいぶぶんがある。ただ、そこから肯定的なことばを伝えても、しずくの心には届いていないようだ。しずくが言うには、自信は「常に小脇に抱えたい。」もののようだ。それだけ自己肯定感を破壊し尽くされた彼女にとって、唯一のよすがとなるのが修斗なのだ。心の底から修斗を信頼しているかどうかは、前話の後半のやりとりをみるにいささか怪しい部分があるが、例えそうでなかったとしても、しずくが「生」のフィールドに立っていられるのはその修斗なくしてはありえないのである。メイク中に、AVの出演に対して「怖い。」という素朴な本音がさらけだされてもなお、出演する決意ができたのは、修斗のLineがあってこそだった。それゆえ、デート商法的に相手を依存させることがスカウトの修斗にとって重要になってくるのである。
最後、修斗のLineをみて決意するしずくの眼差しは、先ほどみてきた九条と京極、亀岡と依頼人、そしてしずくと粟生が描かれたコマとは対称の位置に置かれている。ここもなかなか巧い表現だなぁと思わされるのだが、ここは、これまで見てきた「相手の言論・主張と自身の信条・評価とが相反する場面」と異なっている。ここでしずくは修斗のエールを受け止め、「修斗くんのためなら何も怖くない。」と前に進む決意をくだしているのだ。

まんがは特徴的なコマ割りやページの使い方も表現に一役買っているとおもっていて、とくに今回はそれが目立ったのでふれてみた。おそらく、これまでの真鍋作品においてもコマ割りは構造的な機能を果たしていることが予想されるが、振り返る機会のあるときに改めてみてみよう。京極における弱者論や亀岡の女性観なども気になるところだが、他のすぐれた書評に任せよう。

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