ある日、本を読みながら沖縄みやげでいただいた黒糖ピーナツを食べていたのだが、どうも内容に集中できない。ピーナツを咀嚼するポリポリ音が気になり、文字が目に入ってきたとたん、音と一緒に砕けてしまう。けっきょく食べるのをやめて、もう一度はじめから読み直したのだった。

オフィスが雑談で盛り上がっているなかじぶんの仕事をしたり、雑音のあるところで文章を書いたりすることができない。同居人の呼びかけやスマートフォンから出る音に、いらいらするときもある。BGMとざわつきの融合した「カフェで読書」などもってのほかである。それくらいわたしと音の相性は悪い。

むかし(今もあるのかしら)ニコニコ動画等にあった「作業用BGM」や、Skypeにおける「さぎょいぷ(作業をしながらスカイプをする)」があったが、いったん聞きはじめるとそちらに気を取られてしまい、肝心の作業がはかどった記憶は乏しい。学生時代に「音楽を聞きながら勉強すると捗る」と言っていたひとびとも、信じがたい器用さをもつ超人であった。

音に限らず、動作を並行すること自体が不得手かもしれない。真っ先に浮かんだのは、町中で歩きながら飲み物を飲むことだ。歩みを止めて飲むか、歩いたまま飲んでみてちょっと口の端から飲み物をこぼすか、向かいから来た人にぶつかりそうになるかのいずれかである。

考えるとまだまだエピソードは出てくるけれど、やはり音に対する苦手意識の比ではない。聞くことは歩く・飲むといった動作とはちがって、自分の意志でオン・オフの切り替えができない。音を回避するには遮断する工夫をするか、その場を去るかの二択だ。じっさい今年の予定や行動をさかのぼってみると、音の多い場所に行くことが減っている。旧居よりも静かなところに転居しているし、飲み会は断ることがふえた(ざわついたなかで「聞く」ことを並行し、そのうえでリアルタイムで必要な情報にフォーカスしないとならないので超むずかしい。じつは、すごくつかれる。)。旅先も閑静な田園地帯であるとか、やや鄙びたむかしの観光地が増えた。

いずれも無意識に選び取ったものだが、ここで深く掘り下げたおかげで自分の行動パターンが少しみえてきた気がする。1年の締めくくりでこういうことがわかると、来年の予定も立てやすくなるかもしれない。同じものを2回読む羽目になったものの、黒糖ピーナツはよい機会だった。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。音楽ゲームが聞くのと動作の並行を求められるにもかかわらず、そこそこのところまでいけたのは、からだの動作が音楽と連動しているおかげである……?などと分析してみます。