◆「アラネバライン」はいずこに

生乳の原価高騰によりそこそこの値段・質の牛乳探しをしていたものの、やはり原価じたいの高騰とあって、あまりぴんとくる商品はなかった。けっきょく、しっくりこないのなら買わなくてもよいのではないかという結論にたどり着き、4月以降買っていない。

前回も書いたように、わたしが牛乳をいちばん飲むのは朝、きなこ牛乳をつくるときで、そのほかはほとんど活躍しない。しかも、きなこ牛乳もすきではじめたとか、健康にいいとかいうのではなくて、親類から大量にもらったプロテイン(ほんとうにすごい量だった)がなくなった代わりにはじめたものだった。

牛乳がない今、去年の夏に試し買いして中断した完全食COMPの残りを水に溶かして飲んでいる。世辞にも美味いとは言えないが、朝食は味より手軽さなのでよしとしよう。栄養バランスでいえば、きなこ牛乳よりもよい。ただ、残っているCOMPがなくなったあとが課題で、味や値段的なことを考えるとリピートしたい商品とはいえない。いっそ「朝は食べない」という選択肢もありかと思いつつ、やはりしごとの日はパフォーマンスが下がってしまう。

まぁ、今までもなんとかなってきたし、あれほど必要だと思っていたにんじんも買わないでまったく問題ないので、朝食問題にかんしても自然となんとかなっていくように思う。わたしは考えるのをやめた。

にんじん、牛乳の二件を経て思うのは、食品にかぎらずどこまでが「自分にとって“ほんとうに”あらねばならぬのか」ということだ。ほんとうはなくても困らないのに「あらねば」という思い込みが自らの生を狭めてしまうこともある。それは自分にとっても、相手にとってもしあわせなこととはいえない。

なにかがなくなったときにすぐ補充の精神で「買わねば・代替品を見つけねば」と行動する前に「なくてもいけるのでは?」というサバイバル魂を育んでいきたい。かたくみずからを戒めると、代替案のないまま白湯を飲み干す。腹の足しになるかは非常にあやしいが、きなこ牛乳よりもCOMPよりも美味い。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。この「あらねば」という思い込みは人間関係やしごとにも通底している気がするのですよ。

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